日常を楽しむことについて | The Pioneerであるということ

The Pioneerであるということ

何を読み取るかはあなた次第。

この頃気付いたことがある。

 

私は面白さを非日常に求めがちであるが、結局のところ、どこかで日常そのものに楽しみを見出せなければ人生は退屈だということである。

 

日常は往々にして同じような出来事の繰り返しである。

故に飽きっぽい私は、ある意味ではとっくに日常には飽きている。

 

だが、そんな日常の中で、飽きない楽しみを見つけられないのであれば、人生はあまりにも退屈なのである。

 

非日常は確かに面白いが、毎日を非日常にすることはほぼ不可能に近い。

また仮に可能であったとしても、新しいものを求め続けなければ生きていけないというのであれば、そんな毎日はどこか満たされないものになるだろう。

 

だから、どこかで日常を楽しむしかないのである。

 

だが、それは日常をただ受け入れるということとは違う。

変化なきままでは人間、やがて腐っていくのも事実である。

 

楽しみながらも停滞しない、絶妙なバランスを見出す必要があるのだ。

 

そうでもしなければ、残り時間によらず、人生の時間を持て余すことになるだけである。