鬼殺隊は異常者集団なのか(鬼滅の刃考察) | The Pioneerであるということ

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何を読み取るかはあなた次第。

『鬼滅の刃』の原作漫画を読み通した。

 

この頃、どこに行っても目にしない日がほぼないくらいに流れてくると、

さすがに全く知らない訳にもいかないだろうという判断してのことである。

 

正直に言うと、やたらと噂を聞いても、噂そのものには興味を掻き立てられなかった。

そして、読後感も、どこか物足りないものであり、ひとまず最低限の知識は仕入れた以上、

これ以上そちらのコラボなどに深入りしようとは思わなかった。

 

だが、一つだけ、深掘りし甲斐がありそうなテーマがあったので、今回はその問題について考えてみたい。

 

全文はニコ百にあるので割愛するが、鬼のラスボスである鬼舞辻無惨が無限城で主張した、

鬼殺隊は異常者の集まりだ」という主張の妥当性である。

 

聞くところによるとリアルタイムでこのセリフを読んだファン層の多くがブチギレた(?)らしいが、

私は読んでいて、しっくりくるところがあった。

 

主人公を含む鬼殺隊には、確かに異常なところはあるのだ。

 

考えてみて欲しい。

 

作品を知っていればこそ背景事情を理解できたとしても、そのようなバックグラウンドなしに、

 

鬼を殺すことを目的としながら鬼と行動を共にする矛盾した人間や、

雷に打たれて髪が黄色になってしまった寝ている時が戦闘モードのヘンテコ人間や、

上半身裸でイノシシの被り物をしている人間や、

ネガティブな情報もやたらハイテンションな笑顔で語り飛ばす人間や、

仲良くしたいと口で言いながら相手を拷問しようとする人間や、

大正時代にヤンキーヘアーをしている人間や、

肉の壁とやらのカミカゼアタックを仕掛ける人間や、

目的のために家族ごと自爆することをいとわない人間らが、

 

廃刀令を無視して刀を持ち、「呼吸」なる武道モドキの何かに取りつかれ、

「鬼」とやらを殺すことを目的として駆け回っている姿を想像して欲しい。

 

現代よりもずっと多様性に対してクローズだった大正日本において、これが異常者集団でなくて何だっただろうか?

 

だが、実は彼らが異常者集団だという時、それはそのような表層に限った話ではない。

 

これからそれを読み解いていく。

 

1. 鬼の被害は自然災害か?

鬼舞辻無惨は、平安貴族の出である。

 

彼の産まれ育った当時は、自然災害は鬼神の祟りだとされていた。

そして、当時の流儀では、祟る鬼神に復讐するなど以ての外で、祈祷によって鎮めようとしていた。

 

有名なのが、菅原道真が非業の死を遂げた後、京の都を襲った一連の天災で、

今でこそ学問の神様と言われるが、天満宮の始まりは彼の怒りを鎮めることにあったのだ。

 

鬼舞辻無惨はこの思考回路の元で育っているから、鬼である自らの仕業も当然自然災害と解釈している。

そして、千年の歴史を通じて、ごく少数の鬼殺隊を除く殆どの人間が妖怪や鬼による所業を嘆きこそすれ、

平安の昔同様、復讐など考えもせずに、むしろ自らが超常現象を生き延びた事実に感謝すらしながら生きていった現実を知っている。

(ノアの箱舟ではないが、生き延びた人間は、しばしば自分が助かる側に選ばれたことに感謝する(たとえそれが人為的であっても)。

と同時に、しばしば戦災やホロコーストのサバイバーのように、ある種の罪悪感にさいなまれる。

復讐心は、その罪悪感の行き過ぎた形態である。)

 

そのような彼にとって、個人的な復讐に囚われ、いつまでも過去から前に進めずにいる鬼殺隊が、

異常者集団に映るのも至極もっともなことである。

 

現代で言うなら、粘着質と評されても文句は言えないだろう。

 

2. 頑なに文明開化を受け入れないカルト集団

舞台が大正であることによって、スーツに身を包んで現代に溶け込む鬼舞辻無惨と、

四百年近い戦国の昔の一剣士が昔実現した「日の呼吸」の劣化コピーに甘んじ、

大正なのに明治に出た廃刀令を無視して刀での鬼殺しにこだわる

時代錯誤な違法集団としての鬼殺隊の対比は鮮明なものになっている。

 

少なくとも、文明への適応度で見れば、明らかに鬼舞辻無惨をはじめとする鬼側に分がある。

 

産屋敷家にしても、廃刀令や文明開化のこと、そして国民皆兵で近代化された日本軍が日清・日露で上げた勝利のことは知っていただろう。

当主の自爆の威力を鑑みるに、当時の先端を行く爆薬だったダイナマイトも知っていたはずで、

そのことから、当時の科学的知見にも一定以上精通していたと推測される。

 

それ故、鬼殺隊を、柱などの特定少数の英雄に頼る属人性の高い組織から、

誰でも一定以上の成果を出せる近代的組織に改組するチャンスはいくらでもあったはずである。

 

にもかかわらず、そのような改革も、文明開化の波に乗って得られた科学的知見の活用も、十分には行わなかった。

 

そして「呼吸」なる型に固執し続けた。

 

現実には、鬼には(日輪刀・太陽光以外に)毒も効くというヒントに加え、

太陽光が電磁波のスペクトルから構成されていること、

同じ電磁波であるX線やγ線の存在なども、この時期には既に科学的知見として蓄積されている。

 

ところが、彼らはそれらの知見を持っていても、毒薬を特攻攻撃としてしか使わなかった。

 

大正時代はちょうど転換期で、史実では第一次世界大戦において、毒ガスが史上初めて実戦投入された時代である。

鬼殺隊も、個人の復讐心を超え、鬼の根絶による人類への貢献という大きな目的に立ち返るのであれば、

毒を使うにしても、対鬼用毒ガスを開発し、無限城攻略の時も、毒ガス攻撃による一斉駆除を行うべきであった。

(大正時代は、まだNBC兵器に対して規制のなかった時代である。

後に人体実験を行った731部隊の活動にもつながっていく時代の倫理水準であれば、

鬼を一斉に滅ぼせる強力な毒ガス兵器の研究は行っておくことは、実戦投入まで持っていけなくても合理的な戦略であった。

もちろんそんなことをすれば現代人の倫理や国際法には合わず、

更にはオウム事件を思い起こさせるという大人の事情でその手段は排除されたのだろうが、

刀でチャンバラさせたいなら江戸時代までにさせればよい。

大正の人間にやらせると、色々と頭のおかしい集団になってしまう。

鬼を生け捕って若手の最終試験で殺させるために飼い殺しにするところまで至っている以上、

鬼を使った生体実験まではあと一歩の距離である)

 

また、電磁波の集まりである太陽光や(大正当時基準で)近年発見されたX線・ガンマ線などを解析し、

どの波長・強度の光が鬼に効果的なのかも、きちんと分析しておくべきであった。

 

不死性を持ち、無限に増殖し、健康な細胞を食らう必要があるのは、現実社会では癌細胞の特徴でもある。

元々鬼舞辻無惨は、薬の副作用で鬼になったというSFめいた展開なのだから、この鬼はSF的に殺せるはずである。

(事実、SF的に弱らせるところまではいっている。だがその方法は当時の技術でありえた選択肢で見ても効率が良いわけではない)

 

その意味で、癌細胞同様、鬼舞辻無惨は全身が特殊な癌細胞で構成されている可能性があり、

放射線「治療」で駆逐できた可能性も十分に存在する。

太陽の可視光や低周波な紫外線に比べ、更にエネルギーの大きいγ線の照射で、太陽光照射と同様の効果が得られた可能性もある。

 

にもかかわらず、鬼殺隊はこれらの分析を怠り、あくまでも「呼吸」の教育と、かつての「日の呼吸」の再現だけを夢見ていた。

このような行き過ぎた過去崇拝は、もはや一種のカルト集団の特徴を呈している。

 

そしてそれは、一人一人が、動機である個人としての復讐に囚われ、

全体として何をすれば合理的に鬼の駆除を達成できるかを一切考慮してこなかったがゆえに起こったことであり、

その意味ではやはり、過去の成功体験を妄信して技術革新と近代化を怠った、時代錯誤な異常者集団なのである。

 

鬼舞辻無惨には、自身の主張通り、災害にも比すべき力がある。

たとえ数百年年前の「日の呼吸」を何とか再現したとしても、それ「だけ」では、彼はまた逃げてしまうだろう。

 

そのようなことが分かっていながら、せいぜい刀の振るい方や人員配置を変えるだけで、

隊の外で協力してくれる鬼の力で作った薬以上の「文明の利器」を使おうとはしなかった。

(しかし、それはジャンプ王道型の「明るい正義」の視点から見ても、実に中途半端なやり方である。

英雄集団による勧善懲悪ものとしてみるなら、いっそ薬物による弱体化などのない形態で、

本来の実力を出させた勝負として見せた方が面白味はあるだろう。

下弦の切り捨て同様、その分のキャラ強化ストーリーを入れるのが面倒になって端折ったのだろうか?)

 

ジャポニズムのファンには嬉しいことかもしれないが、現実としては、

もはやここまでくると刀と「呼吸」への異常な執着すら感じられる。

 

復讐を実感したくて、斬る感触を伴う刀に固執したのだとしたら、それはサディスティックな異常者でなくて何であろうか?

 

3. ダークヒーローなのに、それらしさがない

鬼殺隊が復讐心を持った違法集団であることを考えると、主人公たちはいわばダークヒーローの立場である。

 

ダークヒーローと言えばバットマンや夜神月などのように、違法な正義を執行する者特有の暗い影が漂うものだが、

主人公たちはどこまでもジャンプ的で、警察に追われたことすらあるのに、自らの違法性を自覚していないようにさえ見える。

 

これはジャンプ王道漫画の系譜を引くというメタ的な理由からだろうが、

違法集団で復讐者なのにその部分に由来する影がなさすぎる鬼殺隊は、やはりある意味異常者の集団である。

 

結論

平安時代の鬼神観を持っている鬼舞辻無惨からすれば、鬼殺隊が異常者集団に見えるのはごく自然なことであった。

 

実際、鬼殺隊は鬼を滅ぼすことを目的としながら、過去に不十分な効果しか発揮できなかった「呼吸」と刀に固執し、

廃刀令を無視して近代化の試みすらしようとしなかった時代錯誤な違法集団であり、

客観的に見ても刀フェチでサディスティックなところを秘めている異常者集団と見るのは間違いではなかろう。

 

刀を振り回させたいのであれば、大正という時代はミスマッチである。

大正時代を舞台にするのなら、毒ガス攻撃や放射線照射など、時代に合った(大正基準で「近未来的な」範囲までの)軍事的戦略を取らせた方が正常な集団に映ったことだろう。

 

また、違法集団や復讐者でありながら、ダークヒーローが持つ影がなさすぎる点も、鬼殺隊が一種の異常性を有していることの証左ともとれる。

 

(あくまで組織全体としての鬼殺隊の話であり、キャラクター個人に共感できるかはまた別の話。

そのあたりはよく工夫されているとは思う。ブームになっているのはそのお陰だろう)