4月に入り少し落ち着いてきたのでようやく昨年度のことについてブログに書く時間が持てました。
昨年度、つまり令和5年度、僕は子ども達の小学校のPTA会長を務めました。
そう、この俺が。笑
僕を良く知る人からは「おいおい、マジかよ、お前が⁉️」なんて声が聞こえてきそうです。
思い返せば「子ども達が入学・卒業の年(1年生・6年生)に自分がPTA会長だったらなんかカッコ良さそう」という超気軽な気持ちで役員に手を挙げたのが2年少し前のこと。
よく分からないけど人生で一度くらいはPTA会長とか経験してみるのも面白いかも。
そんな超気軽な気持ちだったとはいえ僕にとってPTAという未知の世界に参加してみるという挑戦でした。
その頃のブログ。
https://ameblo.jp/thenontarou/entry-12730643226.html
ブログを読んでみるとその頃と今とでは明らかに人間的な成長が見られますな。笑
自分の時間と労力を
一切出し惜しみしない1年間でした
「来た球」はすべて打ち返す
PTA会長を務める年度のはじめに心に決めていたことがありました。
自分の時間と労力を出し惜しみせずに「来た球」はすべて打ち返す
今回のブログのタイトルに関係すること。
僕はずっと自分の時間や労力を何よりも重要視し、何かをやるときもそれと自分の時間・労力を天秤にかけて損の無い方を選んでいました。
つまり他人のために自分の時間・労力を使うことをかなり避けていたんですね。
もっと言えばケチっていた。
それが悪いこととは思わないけど僕の場合その意識が人よりもかなり強かった。
だから仕事でもプライベートでも誰かが自分の時間・労力を「奪おうと」してきたら、全力で反抗していました。
俺の時間や労力は俺以外の人間には1ミリだって使うものか‼️‥みたいなね。
書いていて「おいおい、こいつ超ケチ野郎じゃねーか」と思いますが実際のところ僕はそういう人間ですし、残念ながら認めざるをえません😅
そんな僕がPTAという「無償」のボランティア団体に手を挙げたのには実はそれなりの理由があったんだな、と思っています。
人間って人生の中で自分以外の誰かのために自分の時間や労力を使う必要があると思うんです。
自分以外の他人に対して自分の時間や労力を使うことって、自分に対しての愛情みたいなものを他人にもかけられるってことだと思います。
だからそれを他人にかけられることって結構、いや、かなり人間として成長できることだと思うしすべきことなんじゃないかな、と。
ひょっとすると同じくらいの世代のみんなは当たり前にそういうことができているのかもしれません。
ところがこの僕にいたっては圧倒的にそれが足りていない。(と感じていました。)
なのでPTAのようなボランティア団体に手を挙げたということは、僕の中の無意識下の僕が「お前、そろそろ他人のために働けよ」と言ってきていたことなのかもな‥と思うのです。
だから自分にとって必要なことだったんじゃないかな。
そもそもPTAというボランティア団体に「やります‼️」と手を挙げて入ったにも関わらず、「いやいや俺は自分の労力や時間は使いたくないんですけど‥」って意味分からないじゃないですか。笑
ボランティアで活動することに対して「自分の時間が‥労力が‥」って不満タラタラ、文句タラタラでやるのって冷静に考えるとまったく意味不明ですよね。
最初の1年目でそのことに気づきまして。(遅い‥)
「やる‼️って言ったからには文句たれずにやらんかい‼️」って自分に言ったのです。
そういう自分の中の決意みたいのもあったので2年目、つまり僕がPTA会長をやる年は
自分の時間と労力を出し惜しみせずに「来た球」はすべて打ち返す
と心に決めて行動することにしたんです。
1年間を通してこの目標はほぼ達成できたと自分では思っています。
学校側の要望、地域団体からの協力要請、そして保護者からの意見の組み上げに関して僕にしては信じられないくらい反対意見を言わずに「来た球」として本部役員の方々と話し合いの場を持ち、行動することで対応できたと感じています。
ひょっとすると周りからは僕がものすごく前のめりに能動的に会長として行動していたように見えたかもしれません。
しかし本当のところは「今までのケチの埋め合わせをする」みたいな、ある意味自分勝手な理由からくる行動でもありました。
それでも僕は「それで良い」と思って活動していました。
だって行動する理由に「あれやこれや」とたいそうな大義名分を考えることより、ただ一回行動することの方が大切だと考えていたから。
僕は行動こそすべてだと考えています。
どんな理由からであれ行動がすべて。
逆を言えば行動しているのであれば、その理由は別にどういったものだろうが構わない。
自分の行動にもっともらしい理由づけをしようとして行動できない人が多い世界で、行動するということはめちゃくちゃ大事です。
それにぶっちゃけ口で百回説明するより一回行動するだけで考えなんて伝わりますよ。
行動するって生き様を体現することだと思うので。
それから「自分がPTA会長として地域の活動に協力することで、より一層子どもたちの見守りに協力してもらえるのならお安いもんだ」みたいにも考えていました。
PTA会長っていわばPTAの「顔」だと思うのでその自分が地域や保護者から「来た球」を打つということで、そこに信頼関係が築けたらいいじゃんって思ったんですね。
だって「地域の活動には協力しません」「保護者の意見には耳を貸しません」だけど「PTAにはご協力ください」っておかしな話じゃないですか??
いくら「子どものため」って言ったってそれは都合良すぎるでしょって思ったんです。
だからまずは自分から動く。
自分がPTAの会長として地域や保護者、学校行事に積極的に参加することで「子どもたちの見守りをよろしくお願いします‼️」みたいなちょっと打算的な気持ちが確かにありました。笑
そして僕はそれで全然いいじゃんって思って活動していました。
なんやかんや理由をつけて「来た球」を見送ることもできたと思いますが、それって「やります‼️」って手を挙げた人間がやることじゃない。
それに人からの協力が得たかったらまずは自分から動かなきゃ駄目だと思ったんです。
口であれやこれや言うことより一回の行動ってそれだけで説得力がある行為なんです。
行動重視で「来た球」を全部打った結果として一緒にやった役員さん達には少し負担をかけてしまったかもしれません。
そこはあの、すいません🙇
正直今僕は自分のやりたいようにやったことに他の役員さんや学校の先生方を付き合わせてしまったんじゃないか‥というちょっぴり罪悪感みたいなものもあります。
そこに関してはごめんなさい‥というより協力してくれて本当にありがとうございます🙏と思ってます。
ですが僕が自分の時間や労力を出し惜しみせずに「来た球」を全部打ったことは、良かった面もかなりあると思うんですよね。
付き合わせてしまった皆さんには大変だったと思いますが‥。
このように僕は自分の自分と労力を出し惜しみせずに「来た球」はすべて打ち返すことを心に決めて1年間やってみました。
もともと「なんかかっこいいかも」「一度くらいPTA会長やってみてもいいかも」くらいの超気軽な気持ちで役員に立候補した僕には「PTAをこうしたい‼️」みたいな「崇高な」目的などまったくありませんでした。
なのでそんな僕にできることは役員として(会長として)自分の時間や労力を出し惜しみせずに自分の前に「来た球」をすべて打ち返すことだと思って活動していました。
それが自分にできるベストだと判断したんですね。
そんなこんなで活動した1年間、自分としてはやり切った感が結構あります。
自分を自分でねぎらって褒めてあげたい今日この頃です🫡
続く
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