フジロック’98



ミッシェル・ガン・エレファントの最盛期・頂点がいつだったか?という問いに対して、人それぞれ解釈が違って様々な回答があると思います。



それは



1998年に「ギヤ・ブルーズ」がリリースされたそのタイミングがそうだった



という人もいるだろうし



横浜アリーナで開催されたアリーナ初前代未聞のオール・スタンディング・ライブ「WORLD PSYCHO BLUES TOUR」の時がそうだった



という人もいるだろうし



ブランキー・ジェット・シティと共に日本人バンドとして初のトリを飾った「フジロック 2000」のライブがそうだった



という人もいるだろうし



あるいは



ミュージック・ステーションでのt.a.t.uドタキャン事件の代役で急遽ライブ演奏を行い、全国区にその名が知れ渡ったあの夜だった



という人もいるかもしれません。(もしくはもっと別の時かもね)



僕としてはそれらのどれもがミッシェルの魅力を存分に伝えてくれる瞬間だったと思うので、おおむね共感します。



ただ、僕としては



「フジロック’98」



このステージこそダントツでミッシェルの最盛期・頂点を象徴する瞬間だったと断言します。







外国のライブ、例えばグラストンベリー・フェスやレディング・フェスのような大規模な野外ライブに憧れて始まった「フジロック」。



その最初期の段階のフジロックに出演したミッシェルのライブの瞬間こそ、僕は彼らの最盛期・頂点だったんじゃないかな?と思うのです。







僕らの世代の音楽ファンなら多分みんな持ってる感覚の一つに「洋楽至上主義」があると思います。



最近の邦楽アーティスト・邦楽リスナーの素晴らしいなと思う点は、そうした「棲み分け」の感覚がまったく無いということです。



洋楽だろうが邦楽だろうが「良いものは良い」「好きなものは好き」と言える若い世代のリスナーは素晴らしいと思うし、「これがカッコいいんだ!」という意識で曲を作る邦楽アーティストもまた素晴らしいと思います。



実際に最近の邦楽は洋楽と全然聴き分けられないくらいその垣根がなくなってきていていると思います。



邦楽・洋楽の意識なく音楽を聴けるというのは、僕らの世代からしてみると「本当良い時代になったなぁ」と思うのです。



僕が高校生だった1998年の頃はまだ今のような感覚はなくて、邦楽と洋楽の「棲み分け」が明確にされていました。



90年代はいわゆる「J-POP」「J-ROCK」というジャンルが確立された年代だったと思うので、邦楽のアーティストは意識的に「洋楽とは違う音楽」を作ろうとしていたと思います。



その意識が邦楽と洋楽の違いをより明確にし、違うベクトルに向かわせていたのでしょう。



これがどういうことかと言うと邦楽専門の「邦楽リスナー」と洋楽専門の「洋楽リスナー」の垣根を生んだということです。







ここからは僕の個人的な感想ですが、当時の邦楽には前向きな創造性というより、むしろ後ろ向きな感情からくるエネルギーが働いていたように思います。



それは



「洋楽に対するコンプレックス」



です。



「どんなに頑張って音楽を作っても・どんなに良い音楽でも、所詮邦楽は洋楽には敵わない」



そんな「洋楽至上主義」の空気感が、当時は確かにあったのです。



今考えるとまったくバカくさくてくだらないのですが、当時は「洋楽を聴いている=カッコいい」みたいなものが確かにありました。



当時の邦楽のアーティストはいつも外国のアーティストへの純粋な憧れを表していたし、そういう「洋楽っぽい」アーティストは邦楽でも「カッコいい」と見なされるフシがあったのも確かです。



外国、特にイギリスから当時最先端のアーティストを招いて開催されたフジロック’98。



ステレオ・フォニックス、プライマル・スクリーム、ビョーク、プロディジー、ガービッジ、ベックといった錚々たる世界レベルのメンツの中に、ミッシェルが乗り込んでいく様子は当時の僕には希望でした。



僕のような秋田の片田舎に住む少年が応援する「邦楽」のミッシェルが、世界の舞台で活躍する、みたいな。



自分の好きな「邦楽」のミッシェルが世界レベルで通用するんだ!という、なんか誇らしい感じ。



実際にミッシェルは当時の洋楽アーティストにまったく引けを取らないライブを見せてくれました。



それまでの邦楽アーティストが洋楽への憧れを表明していたのに対して、ミッシェルはまったく違いました。



それはまるで、「日本生まれのロックン・ロールが世界に喧嘩を売る」みたいな感じで



「蹴散らしてやるぜ‼️」



感が満載だったのです。



そしてその姿勢が当時高校生だった僕には最高にカッコ良かったのです‼️







チバのシャウトから始まり



「俺たちが日本のミッシェル・ガン・エレファントだ‼️」



というMCをぶちかましたフジロックのステージ。



冒頭から「CISCO」「G.W.D」「ゲット・アップ・ルーシー」と畳み掛けるような必殺ロックン・ロール・ナンバーのオンパレード。



会場のボルテージが最高潮に高まりすぎて、客席が危険なため何度も中断されたのはもはや伝説です。



年100本以上のライブをこなしていたミッシェルのメンバー4人も例外だったわけではなく、4人とも興奮しっぱなし・アドレナリン出しっぱなしのごとく超前のめりのロックン・ロール爆弾を客席に投下しまくります。



アベなんてスタッフの静止を振り切って鬼気迫る表情でギター弾きまくってます。




動画お借りします。







秋田に住んでいた僕もフジロックに参加‼️



‥とはいかず、実家のWOWWOWでそのライブを観て超興奮したのを覚えてます。



これは完全に余談です。



時効だから書いちゃいますけど。



フジロックの放送の前日、僕は地元の悪友たちと近くの公園で一晩中酒盛りをして、二日酔いでヘロヘロになって吐きそうになりながらも、このフジロックの放送を観た覚えがあります。



なにやってんの、当時の俺🤦



大学に入って知り合った親友が実際にフジロック98に参戦していたと知って、ちょっぴり嫉妬しました。



それほどまでにこのライブは伝説的で、僕の運命を左右するようなライブだったんですよね。



なんか「俺の」ミッシェルが世界相手にやったった‼️みたいな。



日本にもこんなクソカッコいいロック・バンドがいるんだ‼️みたいな。



そんな貴重な瞬間をリアル・タイムで体験できてる独特のワクワク感というか。



それは「これから何かが起ころうとしている‼️」という邦楽ロックの萌芽への期待というか。



その瞬間を実際に自分の目で、耳で、体で体験しているゾクゾクする感じというか。



それはそれまでの僕が経験したことのないスリリングでちょっと危なくて、それでいて自分の中の「何か」が確立されていくような‥そして音楽史に伝説が刻まれる瞬間を目撃しているような‥そんな貴重な体験だったと思うんですよね。



だから「ミッシェルの最盛期・頂点はいつだったか?」という問いに、僕は「98年のフジロックがその時だった」と即答できるんです。



秋田の田舎に住む高校生がテレビ越しに観た、決して「ビジュアル系」とは言えない4人の男たちが起こした奇跡は、それから20年以上経った今でも色褪せることない爪痕としてフジロックの歴史に鮮やかに刻み込まれています。



それは多くのロック・ファン同様、若かりし頃の僕の心にも深い記憶として刻み込まれました。



フジロックのステージは確かにミッシェルの4人によって演奏されたものでしたが、その場にいた観客、僕のようにテレビを通して体験したファンも含めた「全員」でこの伝説を築いたと言えるのと思うんです。







それから数ヶ月後の1998年の冬、ミッシェルは名盤と名高い「ギヤ・ブルーズ」をリリースします。



そしてそれを境に、彼らは少しずつシリアスに、現在に続くロックン・ロール・モンスターの道を歩み始めるのです。







⑦に続く







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