家族には話しましたが。
先日、会社で仕事中のことです。
僕には変な癖があって口に空気を入れて膨らませた状態でPCのキーボードを打ったりするんですけど。
その時に、口から空気が漏れて
「ブッ‼️」
ってオナラみたいな音が鳴ってしまったんです。
「ち、違うんです‼️今のはオナラじゃないんですよ‼️」
と弁解するのも恥ずかしいのでそのままにしてありますが、隣のデスクの上司は
「渡辺君、オナラしたな‥」
と思っているに違いない‥。
そんな渡辺です。
我慢と頑張りのコップの話
我慢強い人や頑張り屋さんって、人より「我慢と頑張りのコップ」のサイズが大きいだけなんですよね。
僕みたいに我慢弱くて頑張りたがらないタイプの人間だとすぐに溢れちゃう「我慢と頑張りを溜めるためのコップ」のサイズが、人より大きいだけ。
だから無限に我慢できる訳じゃないし、頑張れる訳じゃない。
ずっと我慢や頑張りを続けているとコップの中はそれで満たされて、いつか溢れてしまいます。
そうなると色々な害が発生してきます。
例えば
「自分が我慢・頑張っている分、人にもそれを強要する」
「自分は我慢・頑張っているんだから、これくらいしてもいいでしょ?みたいな感覚になる(例えば会社のルールも自分には適用外みたいな感覚)」
「我慢・頑張りを無理して続けてきてしまったせいで、踏ん張らなきゃならないところで踏ん張りが効かない」
「何もかもがどうでもよくなってしまう」
とかがそう。
僕は過去にこの「我慢と頑張りのコップ」が溢れたことがあります。
その時に自分に起こった害が上に書いたもの。
だからこれはコップが溢れた時に確実に起こるって分かります。
それと
「あぁ、この人はコップがいっぱいだな・溢れているな」
っていう人も分かります(ほんとすぐ分かる)。
僕らの世代って「我慢する」とか「頑張る」って美徳として教えられてきましたけど、この歳になって思うのは
そりゃ間違いだな
ってことです。
自分を振り返ってみて我慢や頑張りをコップに溜められたところで、別に良いことは無かったなぁと思うんです。
そういうのって
「やりたくないことをやるために必要な能力」
だったなって思うんです。
ひょっとしたら我慢や頑張ることである程度の「成功」を得られた人はそうは思わないかもしれません。
でも僕の場合は我慢や頑張りで特に「成功」を得られたことがないので、まったく良いイメージが無いんですよね。
むしろ「マジ意味ねーこと教えられたわぁ」とか思ってます😆
「我慢と頑張りのコップ」ってサイズが小さければ小さいほど良いし、満たされていなければいないほど良いし、なんなら無い方が良いと思うんですよね。
過去にこのコップを溢れさせた僕からすると、「やりたくないこと」をするために「我慢する」とか「頑張る」とかマジで全然いらねーなって思うんですよね。
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