僕ももう42歳。
「もう」ってうったら予測変換で「毛」って出て、「僕も毛42歳」っていう意味不明な文章になって電車で吹きそうになった。
そんな42歳。
先日同級生の友人から「あれ、我々は今年で42歳?43歳?」というLINEがきて、「ハハハ、おバカね」と思いながら必死に頭の中で歳を計算していた、そんな42歳。
人間こんだけ生きてくると、いい意味で自分に期待しなくなりますよね。
それは等身大の自分をしっかり認識することであって、自分の能力値だとか得意不得意を自分で理解して無駄な万能感を捨て去るってことです。
で、僕はここ最近よく「敵わないな」って思うことがあるんです。
これは人と自分を比べて凹むってことではなくて、単純に能力値が「あなたの方が上だよね」って認めれることです。
オリンピックの100メートル選手と自分を比べて「負けた」とか凹んだりしないでしょ?
単純に能力値が違うわけですから。
あれと同じです。
だから「勝った」とか「負けた」とか思わない。
で、さっき妻のブログを読んだんですけど、やっぱり面白いんですよね。
僕ももうブログを5年くらいは書いているので、多分面白いとは思うんですけど。
やっぱり妻のブログが面白いんですよね。
それはなんでかって、妻のブログって妻の生き様みたいのが書かれていてすごく読み応えがあるから。
僕の妻は何かにのめり込むと周りが見えなくなるほど一途で、そこに向かって猪突猛進していく。
彼女のそういう無垢な純真さみたいなものを目の当たりにした時に
あぁ、敵わないな
と思うんですよね。
僕もギターに関しては本当真剣に取り組んでますけど、そういう無垢な純粋さって最近あまり無い気がするんですよ。
どことなく冷めてる部分があるっていうか。
そんな僕からすると妻のそういう面はやっぱり「敵わない」って思っちゃう。
夫婦ってすごく身近な存在だから、妙なライバル感があってお互いを認められないことがあります。
特に僕のように負けず嫌いな人間は、本来認めなきゃならないとこで身近な人と張ってしまったりする。
そういうところは反省なんですけど、そんな僕からしてみてもやっぱり「敵わないな」と素直に降参する瞬間があります。
「敵わないな」って認めること、昔はできませんでした。
だって誰かに対してそれをしちゃったら自分がすごく「負けた」気がして、悔しくて悔しくて仕方なかったから。
でも思うんですけど。
「敵わないな」って認めずに「俺の方が上」みたいな無駄な張り合いをしたところで、結局自分の能力値や得意不得意は変わらないわけだから時間の無駄だな、と。
だったらさっさと「敵わないな」って認めてしまった方が先に行けるというか。
それに「敵わないな」って認めるっていうのは人のやり方とか考え方を尊重することだと思います。
尊重するからこそ「敵わないな」と思えるのか、順番は分かりませんけど。
「敵わないな」って認めるとその先で、「自分のやり方」みたいなのが分かってきます。
素直に自分の能力値とか得意不得意を認めて、その上で自分に合ったやり方を探す方に振れるんですよね。
無駄なことで競わなくて良くなるというか。
話は戻って妻のことですけど。
やっぱり「素直に生きる」こととか「文章を書く」ということに関して僕はまったく妻に「敵わないな」と思います。
だからといってじゃあ自分が妻に「負けた」とかそういう訳じゃなくて。
自分は自分として生きていく・文章を書いていくっていう、そんな風に思うんですよ。
8月に鎌倉に行きました。