2021年2月20日。
オレの初PVを公開した。
ブログで、記念セレモニーもやってみた。
オレは、オレのPV公開という出来事を、とことん楽しんでみた。
2019年8月20まで行なったクラウドファンディング
「37歳、パパにして脱サラミュージシャン、Dolphin の音楽PVを作成したい!」
人生初の挑戦であるこのクラウドファンディングの、結果は散々たるものだった。
支援をしてくれた方はいて、それは本当に嬉しいことだったんだけど、これはそれとは別の話。
単に結果、つまり金額における目標金額の達成率だけみたら、目標金額のわずか2%にしか満たない結果だった。
一生懸命企画を考えて、鼻息荒く望んだクラウドファンディングの結果に、当時はすごく落胆した。
しばらくは、自分のクラウドファンディングのページを見ることができなかった。
しばらく‥というのは、つい最近まで、約1年半くらいもだ。
情けなくて、恥ずかしい。
オレのクラウドファンディングのページを見た人は、一体どう思うだろう?
超イタイ奴がいるじゃん!
この達成率、マジ笑える。
見てるこっちが恥ずかしくなっちゃう!
そんな、冷めた声や視線。
実際にはありもしないそれらが(を)、聴こえたり、感じたりしたせいで、とにかく
どうしようもないやっちまった感
がオレを長らく支配し続けていた。
そのせいもあって、PVの制作に腰が重くなってしまって動き出せずにいた。
あわよくば、みんなそんなことがあったこと、忘れてくれないかなぁ‥。
そんな風に思ったりもしてしまっていた。
しかも、オレのPVの制作が遅れているのを、妻がアイディアを出してくれないせいにまでしたりしていた。
最悪の感じだった。笑
オレは、負け犬だった。
だけど、ようやく去年の夏ぐらいかな。
やっぱ、「これじゃいけない」って、なんか思ったんだよね。
こんな逃げ続けるだけ、人まかせにし続けるだけじゃ、結局今までと同じじゃんって。
そこから、オレはやってやろうって思ったんだよ。
負け犬になりそうだった未来を変えてやるって思ったんだ。
確か、会社から帰る途中の下りの京浜東北線の中でそう決めたんだよ。
ロケハンして、試しの映像を撮ったりして、自分でPVの脚本を1から考えて、絵コンテを書いて、動画編集アプリを探して、妻に好物のケーキを買ってきて自分のPVの撮影と編集をお願いして、撮影の日付を決めて、実際行って演技して、その全ての段取りをしたんだ。
オレのPVが、オレ1人でやったってことを言いたい訳じゃないよ。
今回のPVが、元プロウェディングカメラマンの、妻の撮影技術・編集技術によるところが大きいのは疑いもないことだから、それは認めるし、とても感謝している。
ここでオレが言いたいこと。
それは、オレが去年の夏から再び歩みを進め始めたことで、クラウドファンディングの「失敗」はその意味合いが変わったということ。
オレは思うんだけど、行動し続けていれば、「失敗」なんてあり得ないんじゃないかな。
その瞬間には「失敗」に思えても、行動し続けていれば、それは「失敗」のままではなく、意味を帯び始めるんじゃないかって思うんだよね。
今回のPV完成もさ、クラウドファンディングが終わった時点で歩みを止めていたら、「目標金額を達成できなかった失敗」のストーリーとしてオレの中に定着してしまっていたと思うんだ。
でも、オレの良いところは、そこで歩みを止めなかったこと。
妻に頭を下げて、子どもたちに協力もしてもらって、自分で1から10までコーディネートして、なんとかかんとかPVの完成に漕ぎ着けたこと。
その瞬間に、「失敗」は単なる失敗のまま歴史に残るのではなくて、「やり遂げた人が過去にした失敗」みたいな感じで、意味合いが変化すると思ったんだ。
同じ「失敗」でも意味合いが違うってこと分かるかな?
「失敗」によりそこで終わったストーリーか、「失敗」にめげずにに先に進んでやり遂げたストーリーか。
オレの場合、後者だ。
もしオレがクラウドファンディングの「失敗」を引きずり、去年の夏、まだPV制作を始められずにいたら、その「失敗」はストーリーの結末として刻まれていたってこと。
オレは歩みを進めたことで、「失敗」の先のストーリーを作れたんだよ。
つまりさ、
その瞬間は「失敗」したストーリーとして刻まれていても、行動し続けていればいくらでもそのストーリーは塗り替えることが可能なんだよ!
これってすごいことじゃない!?
だってさ、これってつまり
「失敗」なんかあり得ない
ってことなんだから!
どんな「失敗」をしようが、後からいくらでもストーリーを書き変えられるんだから!
やっぱり、行動すること。
これはすごく大切なことなんじゃないかな。
Dolphin 「Messages」PV 公開中です!
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minne