約1年半前、クラウドファンディングで企画したPVがついに完成!





公開に向けて準備中です!





振り返ってみると、今から約2年前、オレは当時勤めていた会社を辞めてミュージシャンを「始めた」。






どうしても、ミュージシャンとして、音楽をやりたかったから。





こう書くと、とても聞こえが良いし、カッコ良く見える。



確かに、それは本当だ。



でもね、それだけじゃない。



オレは、当時のどん詰まりだった自分の人生の状況から逃げ出したかったんだ。






激務に追われトラブル続きの仕事から



「パパ」としてうまく振る舞えない自分から



俺とは違って、前向きに生きようとする妻のその姿勢から





そのすべてから逃避したかったんだよ。



突きつけられる現実のすべてが、まるで「お前はまったくダメだ」と言っているように感じていた。



だから、そういうことから逃避するために、「ミュージシャンになる」という選択を選んでいたのも確かだ。



会社人としてもダメ



「パパ」としてもダメ



夫としてもダメ



そんなどこをとってもダメダメだった(と、当時は自分を追い込んでいた)オレにとって、唯一音楽だけが揺るぎない自信があることであり、誰にも否定されることの無い安息の場所だったから。






だから



ミュージシャンになりたくて、会社を辞めた



これは確かに事実なんだけど、そこまで純粋じゃない。





純粋にこれが2年前に会社を辞めた理由だったなら、どんなに高潔で良かっただろう。



でも、オレの場合、残念ながらそうじゃない。





そこまでカッコ良い理由で脱サラしたわけじゃないんだ。



勇気‥というよりは、



やけっぱちの度胸



と言う方が正しいね。



もうどうにでもなれ感がハンパじゃない感じ。





最近様々な人のブログで、「始める」動機についての記事を読んだ。



「始める」のにたいそうな動機はいらない



そんなことが書いてあって。



オレの場合、ミュージシャンをやりたい!という高潔な動機だけじゃなく、同時に不純な動機も存在していたと思う。





そういう意味で、2年前のオレは、そこら辺にいる、いわゆるパンピーのリーマンとまったく同じだったなぁと思う。



つまり、別に何かを「始めよう」と思うような高潔でたいそうな志を持っていたわけじゃないってこと。



むしろオレの場合、人生のどん詰まりになることで半ば強制的に会社を辞め、ミュージシャンを始めたと言える。



だからそこに高潔でたいそうな動機なんか、もともと存在しなくて、むしろ後付けの理由付けみたいの方が近かったかな。





でも、オレはこの2年間に自分で音楽を作って売って、PVまで撮ることができた。



他にも色々やったことはあると思うけど、音楽について言えば



シングル3枚
アルバム1枚
弾き語りライブ
PV



をこの2年間に行動したかな。



冷静に、すごいよね。



2年前は「ただの」サラリーマンだったオレが、音楽作ってPVまで撮ったんだから。



もちろん、PVの制作は妻の協力があったんだけど、それでもよくやったもんだよ、本当に、と思う。



でまあ、オレが言いたいのはさ。



オレは今こうして、自分プロデュースでPV制作までやっちゃったわけなんだけどさ。



そういうオレにも、「始まり」はあるってことだよ。



その始まりは



ミュージシャンになりたいから、会社辞めます!



みたいな純粋でカッコイイ理由だけじゃなく、



とにかく、今この現実から逃げたい



っていう不純な動機にも彩られているってことよ。



完璧でカッコイイ始まり。



誰もがそれに憧れる。



そしてそれはオレもそうだったよ。



音楽をコツコツ作っていたら、ある日、「あなたの音楽最高ですね!是非、CD化させてください!」って言われて音楽の世界に踏み出す。



そんな完璧でカッコイイ始まりを待っていた。



だけど、そんな日はまったく来ないまま、気付いたら「ただの」サラリーマンとして、家族との幸せな日々を送る36歳になっていたよ。






オレの場合、どん詰まりになったことがキッカケになって強制的にミュージシャン始めたっていうフシもあるんだけど、これだけは言える。





「ただの」サラリーマンだって、本気でやりたいことを2年間やってたら、PVを作ることができるんだぜ



って。



もう気付いてると思うけど、これは誰にでも当てはまるよ。



別にやりたいことが音楽じゃなくたっていいんだ。



始める動機が不純だって構わない。



自分のやりたいことを、やり続けてれば、いずれ自分がなりたいようになっていけるんだ。



その結果が、



誰かに見つけられた!みたいなドラマチックなものじゃなくたって構わない。



自力で、全部自分でお膳立てしたことであったっていいじゃないか。



オレは2年前、ミュージシャンとして目立ちたくて仕方なかった。



誰かに見つけてもらって



渡辺望っていうすげーアーティストがいるぞ!



って口コミで有名になりたくて仕方なかった。



周りに、オレの音楽を好きな人が集まってきて、オレのPV制作をしたい!って言ってくれる日を期待していた。



でも今なら分かる。



残酷だけど、そういう受け身な人間に、「その日」は永遠にこない。



すべては、行動することでついてくる結果なんだ。






だからオレは行動したよ。






誰もオレのPVを撮らないなら(当たり前だけど)自分で撮ろうと思ったんだよ。



カッコ悪いね。



恥ずかしいね。



情けないね。



でも、



オレは2年前の甘ったれで世間知らずなオレより、今の歯を食いしばってやってるオレの方が100倍くらい好きだよ。



自分が第三者だったなら、間違いなく今のオレの方を応援したいって思う。



だって、すんなり、ストレートに、スマートに



上手くいっていない



から。



至るところで転んで泥だらけになっているから。






「ただの」サラリーマンだったオレは、この2年間で「ただの」サラリーマンじゃなくなった。



でもいきなりこうなったわけじゃない。



さっきも言ったけど、そこには必ず「始まり」がある。






例えば、2年前に書いたブログ内容は、今読み返すと顔から火が出るくらい幼稚で稚拙なエゴに満ちているものもある。



今のオレが完璧な訳じゃないけど、それでも当時よりはマシって思える。



オレのブログの「始まり」はそんな感じ。



オレは過去の自分のブログを消さない。



むしろ読んでほしい。



オレの「始まり」を残しておかないと意味ないから。






オレの一番の拠り所の音楽だって、実はそう。



今、「Dolphin」としてシングルやアルバムを発表してきたけど、オレは歌がそこまで上手くない。



なんでって、オレはもともとギタリストだから。



自分の声もキライだったし、自信も無かった。



だけど、それでもオレは歌うことを始めた。



Dolphin として、自分の声で自分の言葉で歌うことを始めた。






もっと練習して、「それなりに」上達してから歌い始めれば良かったじゃん!って?



そんなことしてたら、歌う日は永遠にこない。






オレの悪いところでもあり、良いところ。



それはやけっぱちのクソ度胸があること。



もうどうにでもなれ!って、他の人なら飛べないバンジーをすぐ飛べること。



これは妻にもよく言われるんだけど。



時にはそれが悪い方に転ぶ時もあるんだけど、オレはこのクソ度胸が結構気に入っているんだ。



「ただの」サラリーマンだったオレを、ここまで連れてきてくれた悪友みたいに思ってる。





とにかく、そんなクソ度胸のおかげでオレはDolphin として歌い始めることができたように思う。





こんな商品を発売してみた。







minne 版はこちらから。




オレが今までに発表したCDのコンプリート・コレクション。



未熟な歌い手のままDolphin を始めたオレの、「始まり」から「今」までがここにある。






アルバムの二曲目に入っている「ペトリコール」という曲は、一番古い曲だ。



今と比べると、声が細いように思う。



本人しか分からないかもだけど。






オレが、この商品で伝えたいこと。





それは、すべての物事には「始まり」があって、そしてそのすべての「始まり」が完璧な訳じゃないってこと。






だいたいにおいて、その「始まり」は無様で不純だ。





それでも。





やり続けて行動していれば、必ず自分の望む世界は訪れる。



それが、他人によるものだろうが、自分によるものだろうが、そんなこと関係ないじゃん。





2年前、「ただの」サラリーマンだったオレは、自分プロデュースでPVを制作したんだ。






それが結果で、すべて。






その過程なんて、クソくらえだよ。



過程にこだわっているうちに、人生終わっちゃうよ。



上手くやろうと準備している間に、人生終わっちゃうよ。



高潔でたいそうな動機を探しているうちに、人生終わっちゃうよ。







このPVを制作したことで、オレはまた先に進めたように思う。







このPVの主人公はオレだけど、スタートした時点はパンピーのリーマンと同じ場所。



オレは2年前そこにいた。



「ただの」サラリーマンだった。



そういう意味で、今「ただの」サラリーマンである君も、このPVの主人公にいつでもなり得る。



キーワードは、クソ度胸と行動。






サラリーマンに限らず、今、「ただの」何かである人にこそ、このPVを観てもらいたいし、オレの音楽を聴いてほしい。



なぜなら、オレのPVと音楽は、その人達の近い未来であるから。



2年前のオレが、今のオレのPVを観たり、音楽を聴いたりしたら、きっとそう思うと思う。



そして、未来に希望を描けると思う。



「ただの」サラリーマンのオレだって、やればできるんだ



そんな風な気持ちに、なると思うから。