続きです。





—「俺様」と「超俺様」の違い—



「俺様」と「超俺様」は、似ているようで実は違う。



そのどちらを自分の「哲学」として持つかによって、人生が大きく変わる。



前回書いたように「超俺様」は「俺様」を超越した、より高次元の存在だ。



そして、「超俺様」は自分の尊厳は普遍的なものであり、いつもそんな自分=「超俺様」を通して世界と関わっている。



従って、無駄に周囲と争わないし、何よりも本当の意味で自分の価値を認めることによって他者を尊重し、周囲と調和しながら建設的な未来を築いていける。



そんな「超俺様」を自分の「哲学」に持つと、人生がすごくラクになる。



例えば



ビジネスの場面で



あなたが1ヶ月くらい前から発注をかけていた商品が、取り引き先の手違いによって入荷されない



なんてことになったとする。



1ヶ月も前に発注かけていたのに、なぜ!?



明らかにこちらのミスでは無い。



取り引き先担当者は、謝ってきている。



ワザとではないことはもちろん承知している。



しかし、怒りが収まらない‥。



こんな時、「俺様」と「超俺様」なら、ミスをした担当者に対してどう対応するだろうか?



「俺様」の場合

絶えず勝ち負けを中心に考えているため、まずはミスをした担当者を徹底的に責め、その非を認めさせる。そうやって自分が相手より上位にたった上で、代替案を考える。その代替案も、いかに相手に自分の意見を通すかを中心に考えられたものなので、最善の案ではないことが多い。その時の心境は「俺をこんなに困らせやがって!絶対許さない!同じような痛みを味わわせてやる!」という感じ。結果として、取り引き先との関係を悪くし、この先の自分の業務をやりにくいものにしてしまう。



「超俺様」の場合

調和を目的とし、自分の尊厳も高いので、無駄にミスをした担当者を責めたりはしない。これは決して「相手がミスしたことに対する、自分の怒りと向き合わない」ということではない。むしろ、ミスに対する怒りはきちんと感じている。その上で相手の非を責める時間を、最善の方法を見つけるために使っている。その時の心境は「ミスをした相手を責めない心の広い俺様。なんて素敵なんだろう!」という感じ。人は本来怒られて当然の場面で許してもらったことを忘れないものだ。結果的に、取り引き先と最善の方法を考え対処することで、自分のビジネススキルを上げている。



と、こういった具合だ。



あなたは「俺様」と「超俺様」どちらだろうか?