長年に渡ってギターと付き合ってきた経験から、ついにギターレッスンを始めました。
https://thenontarou.stores.jp/items/5f51f2848b9c6224e226a65f
mikke版はこちらから。
というわけで、ギターの上達法…というか、楽しみ方を人生にからめて書いていきたいと思う。
少し前に好きなギタリストのことを書いた。
https://ameblo.jp/thenontarou/entry-12641811548.html
https://ameblo.jp/thenontarou/entry-12642003385.html
世の中には沢山素晴らしいギタリストがいて、どの人も自分の価値観に基づいてギターと対話して弾いている。
でも、俺がそういったギタリストを全員大好きになるかっていうとそうではなくて。
一応自分の中に大好きになる基準みたいのがあって、
力比べ感があるか無いか
がそれにあたる。
まあ言っちゃえば
俺の方が上手いぜ!
俺の方がこんな引き出しもってるぜ!
みたいな感じが強すぎるギタリストって、どんなに上手でも最後の最後で大好きになれない。
体育会系って言うのかな?
もちろんそういった力比べの競い合いによってギターはその歴史を進化させてきた側面もあると思う。
フレージングの進化や、早弾きとか、新しいギターテクニックとかね。
そういうのは本当に素晴らしいことで、その点においてギターの進化のために貢献したと思うのよ。
ただね、個人的に力比べ感が強いギターは、どうしても好きになれない。
なんか、そういう力比べ感が強いギターを聞くとオエッってなっちゃう。
ギターって突き詰めていくと果てしなく上手く弾ける人がいたりして、もう逆立ちしたって届かない場合があるんだけど。
そういう人と力比べという同じ舞台にいるのが、ただしんどい時がある。
目に見える物理的な意味で、力比べによる敗北を認めざるを得なくなるから。
それって今の会社とか社会と同じで、結局
デキる人が上にいく
みたいなシステムじゃん?
俺の大好きなギターで、そういうのとは無縁と思っていた世界で、そういう力比べ感を感じるとひどくガッカリしちゃう。
ギターの世界でもそんなことをしなきゃならないのかよ‥
みたいに思っちゃう。
俺には沢山尊敬するギタリストがいる。
俺が大好きなギタリストは力比べ感が希薄だ。
彼らが決してテクニックやフレージング、自らのギターを進化させるのを怠っているという訳ではない。
そうではなくて。
何というか、
自分のギターに集中している。
これに尽きる。
人と力比べをしている暇があるなら、自分のギターに集中する。
そんな匂いを彼らのギターから感じとれる。
そして俺はやっぱりそういうギターが大好きだし、カッコイイなと思う。
アベ・フトシも、ジョン・スクワイアも、ジミー・ペイジも、エリック・クラプトンも、バーリー・カドガンも、エディ・ロバーツも、メラニー・フェイも、
とにかくとにかく自分のギターに集中して、楽しんでいる。
ギターの音ってのは本当に正直で、力比べをしている人のギターはすぐ分かるし、自分に集中している人のギターも聞けばすぐ分かる。
これは単に好みの問題と言っちゃえばそれまでなんだけど、俺はテクニックとかフレージングを進化させるのをサボりたい訳ではなくて、
ただ、ギターは力比べするようなもんじゃない
って思うってこと。
誰かと競いたいならそれは結構だけど、俺はそんなことしてもなーんも面白くないと思うわけ。
だから、
力比べなんかせずに自分のギターに集中しろ!
と、言いたい。
そういうお話。
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2019年4月出演ラジオはこちらから。