男性が女性のラルーン(生理)を理解することはとても大切なことだ。
女性のラルーンを「認めない」男性とはどういう男性だろう?
ラルーンを「気の持ちよう」と言ったり、ラルーンによる体調不良を「甘え」と言ったりするような男性はどういう男性だろう?
ひょっとしたら、こういったラルーンに関する心無い言葉をかけられたことがある女性は結構いるのではないか?
ということは残念なことに、こういう心無い言葉を女性にかけてしまっている男性も結構いるのではないか?
どうしてこういう男性がいるのだろう?
それは多分、
間違った男女平等思想と、公の場での圧倒的性教育の不足
が原因だと思う。
一つずつ見ていきたい。
まず、間違った男女平等思想についてだ。
ラルーンの女性に「いつも通り」振る舞うように言う時、男性は何を考えているのだろう?
おそらく、「男は辛くても(多少具合が悪くても)頑張ってやっているんだから、女性だって同じようにそうするべきだ」みたいに思っているはずだ。
もし、こういう言葉を女性にかけている男性がいたら、「いやそんなことはない」と思う前に自分の胸に手を当ててよく考えてみてほしい。
これが仕方ないとは思わないが、この発想になることは理解できる。
なぜなら、男性と女性は「平等」ということになっているからだ。
平等。
どういうことだろう。
これは権利のうえで平等だということのはずだ。
でもここを履き違えている人が男性にも女性にもいる気がする。
そもそも男性と女性は身体的にも精神的にも違う。
だから同じではない。
平等というのは、基本的な権利であるとか人権であるとかそういったものに関して優劣がないということであって、
何でもかんでも男も女も同じように
と考えるのは「平等」の濫用であり、間違った解釈だ。
ラルーンを「認めない」男性は、この間違った「平等」を濫用している場合が多い。
男性と女性は何がなんでも同じくあるべきだ
と考えてしまっているせいだ。
だからそこにラルーンがあろうとも、「平等」でなければならないのだ。
次に、公の場での圧倒的性教育の不足について。
これはもう、書かなくても大丈夫だと思うけど書こう。
前のブログで触れたけど、ラルーンなどの性に関する話は隠される。
面白いYouTubeの話をするのと同じレベルの気軽さで、ラルーンの話をすることができない。
ラルーンの話を口に出すのは恥ずかしいと思ってしまう。
それはひょっとすると、すごく昔、女性のラルーンが神聖で畏れ多いものだと考えられていたことに由来するからかもしれない。
ハリー・ポッターで宿敵ヴォルデモートの名前を皆が知っていながら公に口にしないあの感覚=畏怖の念かもしれない。
そこから現在に至る時間の中で、畏怖の念が抜け落ちて、ただ「隠すもの」という部分のみが残ってしまったのかもしれない。
それをいつの間にか「恥ずかしいから」と勘違いして認識し、定着してしまったのかもしれない。
とにかく、ラルーンについての会話は公にされない。
だから、それがどういったものであるかという理解は女性本人にしか分からず、それを男性に理解させるかどうかというのは女性自身に委ねられてしまう。
確かに小学校の頃、男女別々に分かれてラルーンに関する授業があった。
しかし、それは俺が記憶している限りその一回限りだ。
その後、中学や高校でそういう授業の機会はまったく無かった。
これではラルーンに対する理解が男性の中に広まるはずがない。
もしかすると、お姉ちゃんとか妹がいる男性はまだラルーンに対する理解があるかもしれない。
ラルーンがある身近な年齢の女性と衣食住を共にすることは、それだけラルーンの文化に触れる機会が多いということだからだ。
だが、残念なことにそうではない男性、男兄弟ばかりの中で育った男性は、母親がしっかりラルーンの教育をしない限り、まったくラルーンに対する知識がないまま大人になってしまう。
いずれにせよ、ラルーンを学ぶ機会がまったく足りていなかったというのが、俺の世代の男性の現状だろう。
というわけで、こういった理由からラルーンに対する無知な男性ができあがり、ラルーン時の女性の状態を「認めない」ということにつながってしまう。
ここで、このことを「仕方ない」で終わらせてはいけない。
その現状を理解できたなら、次の一手を打てるはずだ。
ラルーンを理解することで、自分の奥さん、恋人と健全な関係を築くことができる。
今まで、男性がラルーンを理解する方法や、ラルーンに無知な理由を考えてきた。
次は、具体的にラルーン時の女性に対する接し方を考えていこうと思う。
その4に続く