いよいよもって、自分の性質と向き合う時だ。





いつも俺が自分のことを見つめ直すキッカケには妻の存在がある。



妻との関係において、妻から指摘されることがそのキッカケとなる。



その指摘はとてもムカつくもので、到底受け入れ難いのだが、なぜそれにムカついて受け入れ難いかと言うと、



それが的を得ているから



だ。



本当は気付いている自分の性質を指摘されるからそう感じるのだ。



今回もそのパターン。



だけど今までは何とか言い訳して、その自分の性質と向き合うのを避けてきた。



だから、結局のところ「うわべだけの決意表明」みたいになっていて本質のところは進化できずにいたのだろう。






問題は、自分の性質のもっとも深い部分にある。



先のブログに書いた



人の気持ちが分からないとか



人の言葉の真意が分からないとか



そういった表面上の問題にぶち当たった時、それを素の自分のせいにし、それを変えようとしてしまう考え方。



それは



俺の自己肯定感の低さ



に由来する。



自己肯定感の低さが、すべての歪みを生んでいる。



自分の性質で



肝心な部分で嘘をつくところ



すぐ自分以外の何か(誰か)のせいに責任転嫁するところ



様々な場面でケチなところ



被害者意識が強いところ



負けず嫌いでいつも人より優位に立とうとするところ



妻を何とかして自分より下にしようとマウンティングしようとするところ



そういった負の部分はすべて自己肯定感の低さに由来する。



自己肯定感が低いことをずっと認めたくなかったのだ。



それをした瞬間に、自分という人間がまるきりか弱い人間のように思えてしまうから。



しかし、実際は自己肯定感の低さが生み出すすべての歪みによって、俺の世界は作られていたのだ。



悲しいことに。



収入が低いこともその自己肯定感が生み出した結果なのだ。



そして、その自己肯定感の低さに目を背けたまま書いてきてしまったブログの内容は、それまで自分に関わってくれた人々を侮辱するもので傷つけるものとなっていた。



ショックだけどこれが事実なのだ。



「素の自分を隠して人と付き合ってきた」



と言うことは、それまで俺を信用して関係を築いてくれた人達を馬鹿にすることだ。



なぜなら、暗に「その人達と築いた関係は偽物の関係」と言っているようなものだから。



その関係を勝手に蔑んで、価値を下げていたのだ。



本当はいついかなる時の俺でも、その時に築いてきた人間関係は本物であり、後からどうこう言うものでは無いのだ。



自分でもまだちょっと混乱していてまだまとめきれていないから言っていることが支離滅裂かもしれない。



つまり



自己肯定感が低い


素の自分を認められないから、自分の負の部分を変えようとしてしまう

ブログに書いたような「人の気持ちが分からない」といった部分を隠そうとしてしまう


正反対の自分を演じてしまうため苦しくなるし、結局自分の本質を見つめられないからいつまでも自分の見ている世界が変わらない



このようなイメージ。



これは開き直りとはちょっと違う。



自分の性質をただ見て認めることで、自分の考え方のクセ・行動パターンを理解するというのが近い。



自己肯定感が低い



これが俺の生きづらさを生んでいたものの正体だ。



その5へ続く