より良く生きるために、自分の性質を理解し、その解決策を考えなくてはならない。




その前に。



いつもそうだけど、俺は自分のことを悲劇として書くことはしない。



そういう文章は吐き気がするから、なるべくフラットに起こったことを書いていきたい。






そもそも俺は、



素の自分でいたら絶対的嫌われる



と考えている部分がある。



この考えに至ったきっかけを考えると、小学生の頃まで遡る。



俺は絵が上手くてひょうきんものだったから、割とすぐにクラスの人気者になることが多かった。



4月に新しいクラスになり、割とすぐ友達ができるんだけど、その学年の終わりが近づくにつれて俺は孤立することが多かった。



単に自分の性格が悪かった‥と言えばそれまでなんだけど。



俺は仲良くなると、友達との「境い目」がよく分からなくなってしまう。



人間にはパーソナルな部分っていうのがあると思うんだけど、そこへ踏み込んでしまうのだ。



無駄にグイグイいきすぎてひかれる



って感じ。



お気に入りの友達を見つけると、いつでもその友達と一緒にいたがって、勝手に親友扱いして、最後はひかれて去られる。



これの繰り返し。



そしてそれにハッパをかけるように「余計なこと」を言ってしまう。



例えば、その友達が気にしてることを遠慮なく指摘したり、みんなの前でバラしたり。



俺自身、それが友達を傷つけているという意識はなく、ただ面白いと思って言っていたから始末が悪い。



こんなこともあった。



中学生の頃、仲の良い友達グループが万引き行為をしていることが問題となった。



俺は先生から呼び出され、何か知らないか?と聞かれた。



俺自身は正直具体的に何も知らなかった。



だが、その友達グループで、万引きを匂わせる話をしていることは知っていた。



だから、それを話した。



案の定友達はそれで先生に叱られ、俺はその友達から距離を置かれた。



正しいことをした、と言えばそうかもしれない。



しかし、重要なのは



俺が友達のために正しいことをしようと思ってそれをしたのではない



ということだ。



また、その話を先生にする時に



チクっているという罪悪感すら無かった



ということだ。



信じられないかもしれないが、俺の感覚はこうだった。



先生に聞かれたから話した。ただそれだけ。



そこに、その先どうなるだとか、これをしたらどう思われるかとか、自分にこういう意図があってだとか、そういうものは一切存在しなかった。



ただ、聞かれたことに話しただけ。



それ以上でもそれ以下でもない。



正しいことをしたという意識も無ければ、「友達を売った」という罪悪感も無かったのだ。







こういう感じだったから、常に俺から友達は離れ、孤独を感じることが多かった。



率直に言って



これをしたら(言ったら)相手がどう感じるか?



がまったく想像できなかったのだ。



考えもしなかったというのが正しい。







こういう感じでいつも素の自分でいた俺からは友達が離れていったから、いつしか俺の中で



素の自分でいたら嫌われる



という構図が出来上がった。






だから、そこからは極力自分のそういう面を出さないように気をつけながら友達と付き合ってきたと自分では勝手に思っている。



高校も、大学も、社会人になってからも。



ひょっとしたら俺のことだから、すぐに思慮深くない発言をしたり、グイグイ言ったりしてしまったことがあったかもしれないけど、とにかく俺はそう思っているのだ。



余計なことを言わないように、そしてグイグイいかないように、という二本柱によって人間関係はうまくいっていると思っていた。



多分、その頃の俺は周りにいた人達に恵まれていたのだろう。



それに甘んじて、「何とかなっている」と勘違いしていたに違いない。



社会人になって初めてサラリーマンとして勤めた会社で、これがまったく通用しないという状況になってしまった。



その3へ続く