ひょっとしたら「理解できない」と思われるかもしれないことを書こう。
俺には明確に「生きづらい」と感じる瞬間がある。
それは
人の言っていることが分からない・理解できない
時だ。
?となるだろうが、実際そうなのだ。
もっと正確に言うと
人の話の真意が分からない
人の言葉の裏の意図が分からない
そして、人の気持ちが分からない時がある
と言うのが正しいかも。
毎回そういうわけじゃないんだけど、結構な頻度でこれが起こる。
だから、人と話す時(特に会社の人など「社会」の人と話す時)は結構頭をフル回転させて、
この人は本当は何を言おうとしているんだろう?
と考えるのでとても疲れる。
思い返せば、小さい時からよく
「落ち着きがなくて、物事を簡単に考える」
と親から指摘されてきた。
俺の感覚だと、いつもどこかフワフワっとしていて物事の「うわっつら」を見たり触れたりしながら生きてきた感じ。
自分の長男を見ると、まるで小さい時の俺そのものだ。
こんな風な俺だったから、人に言っちゃいけない一言を言ってしまって嫌われたり、逆に表面的な人の言葉に過剰に傷ついたりということを繰り返してきた。
その度に
またこれだ。いつもこうなってしまう。本当に嫌だ。
と思う。
思うものの、じゃあ具体的にもう少し「思慮深く」行動できるかと言うと、それが難しい。
だけど社会人になって働くようになって、それまで「何とかなっていた」自分のこの面が「何とかならない」という場面に出くわすことが多くなってしまった。
仕事に支障が出たり、対人関係が悪くなってしまったりしてしまうのだ。
その人から指示された内容の仕事を理解できず、まったく違ったことをしてしまったり、人からかけられた何気ない一言を過剰に気にして引きずってしまったり。
それで、
これではいけない
と考えて、自分なりに打開策を考えたりもした。
それはとにかく徹底的にビジネスライクなマナーで振る舞うことと、とにかく先回りして徹底的に案件の危険要素を潰すこと。
つまり徹底的に素の自分を出さないことで、「ボロ」を出さないようにしたのだ。
これは結構上手くいって、仕事はこれで上手くまわったし対人関係もかなり改善された。
ただ、だんだん苦しくなってきた。
それもそのはずで、毎日通う職場で違う自分を演じるわけだからストレスが溜まるのも当たり前だ。
そのせいで至るところでほころびが生じ、そういう風に生き始めて7年くらいしたある日それは完全に破綻した。(今までのブログ参照)
それからは、素の自分で生きることを目指して生きようとする日々。
仕事においても、過剰に自分を演じなくていいように、それでいてちゃんと仕事がまわるようにバランスを見ながら生活している。
ただ、やはり「自分の性質」というのはいくら隠したところでちょっとでも気を抜くと出現してしまう。
先日も先方との打ち合わせの中で、こんなことがあった。
「輸出手配をするにあたって、提出していただく商品説明書は英語版のものをお願いします。」
先方の担当者からこう伝えられて、俺は「?」となった。
なぜなら、俺は「英語版」の部分を
A-5版
と解釈してしまったから。
紙のサイズを指定してくるなんて変わってるなぁくらいに思って話を聞いていると、どうもそうでは無いことが分かってきたから良かったんだけど。
俺を含めてその場には4人いたけど、こんな風な勘違いをしたのは俺だけだったろう。
これはいつもの俺の「ド天然エピソード」の一つとして片付けられそうだが、実はこういうことが人生においてかなりあって、それで理解できないっていう経験がかなりある。
何年か前に妻から
「のんちゃんは発達障害かもしれないよ。」
と指摘されたことがあって、それ関連の本を読んでいた時期があるんだけど、それらの本に書いてある発達障害の特徴がまさに俺の性質そのもので、
なるほど〜、俺は発達障害なのかもしれないな
と思った。(先に書いた「おかしな聴き間違え」も発達障害にはよくあるものらしい。)
ただ、その時は「なるほど〜」程度の気づきでそれほど重要には考えていなかった。
なぜなら、その頃はそれでも「何とかなっていた」から。
これまで、この性質のせいで生きづらさを感じる時は沢山あった。
当時勤めていた会社をドロップアウトしたのもその一つだったと思う。
だけどいよいよ、本当の意味で、
これはヤバイぞ
と感じる瞬間がやってきてしまった。
仕事のうえでは最悪それでも何とかやっていけると思うんだけど、問題はより素の自分でいる時間が多いプライベートの部分だ。
先日妻と喧嘩をしたんだけど。
俺が妻の気持ちや行動をまったく理解していないこと
そして
いかに妻の表面的な言葉尻ばかりを追いかけているか
ということに気づいたのだ。
今までも喧嘩をする時はいつも俺のこういった「思慮の浅はかさ」が原因だったのが多かった。
なんだけども、「そんなこと言ったって分からない」といつも思っていたし実際理解できないって思っていた。
その度に、
俺は人の気持ちが分からない病気なんじゃないだろうか‥?
と真剣に悩んだりもした。
でも結局はうまい解決策はでなかった。
ただ、先日喧嘩して
自分の性質が大切な人を傷つけることを、もはや黙認できない
と感じた。
素の自分で生きることはとても大切なことだけど、それによって大切な人を傷つけてしまうのは俺は嫌だ。
だから、何とかしてこの性質をマイナスの方向に向かなわいようにしなければならないと思う。
それにはまず
自分の性質を徹底的に紐解いて理解する
必要があると思う。
だからそれを始めてみる。
ただの自己嫌悪や自責で終わらせるんじゃなく、しっかり自分の性質と向き合って理解することによって健全な解決策を見つけよう。
これは、今までのすべてのトラブルを「自分のこの性質のせい」に責任転嫁することではない。
自分のこの性質も含めて自分という人間のわけだから、これによって起こったトラブルの非は自分にある。
自分のこの性質に気づきながら、それに対して有効な解決策をとってこなかった自分の怠慢がすべての非だ。
本当は「何とかなっていなかった」のに、「何とかしてきた」ものとして向き合ってこなかった俺の罰だ。
だから、今この瞬間から今までしてきた方法とはまったく違った方法で、解決策を練っていかなければならないと思う。
もう「人が言っていることが分からない」、「人の真意が分からない」、「人の気持ちが分からない」とただ言っている状況では無いのだ。
その2に続く
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