22年5月11日


精神科の通院歴は友達を作るのに

好ましい履歴ではなかった。

でも一度、例外はあった。

本当の友達だと思える兄さんたちと弟に出会ったことだ。もう2年近く前のことだった。

忘れようとしたが、それでも時々、あの頃の記憶が蘇った。

あの友達と別れることになったのは下校途中、バス停🚏で発作を起こしたからだった。最後に残っている記憶は、プルッコ樹木園のシャトルバスの窓が開くところだった。

僕はその場でばったり倒れてしまった。

目を覚ました時は病院だった。

母が離れたところで誰かと電話で話していた。少しの間、状況判断がつかなかった。

今どこにいるのか、何が起きたのか。

キョロキョロしていると、鉄格子が張り巡らされた窓が目に飛び込んだ。

その瞬間、やっと思い出した。

下校途中に見た青い空、バス停に座って

ふざけていたこと、遠くから近づいてきた

プルッコ樹木園のシャトルバス。

車窓越しに僕を見ていた目。


僕はぎゅっと目をつぶった。しかし、すでに遅かった。

目の前にはいつの間にか、プルッコ樹木園の正門が現れていた。

小学校1年の遠足の日だった。

僕は降りしきる雨の中をリュックサックで頭を覆ったまま走っていた。

少し離れた前方に倉庫が見えた。

ドアが開いていた。僕は中に入った。

ねっとりとして酸っぱいにおい、苦しそうに吐いていた息、聞こえてきたキーッという金属製の音。


僕はベッドから起き上がり、悲鳴を上げた。違う。覚えていない。全部忘れた。

あの全てのにおいと触感、音と場面を振り払おうと、めちゃくちゃに腕を振り回した。記憶は無慈悲に押し寄せた。

ほぼ10年間も封印してきた記憶がせきを切ったように溢れ出すと、あの日の全てのことがまるで今、目の前で起きていることのように心の中に、目の中に、細胞の中に、爪の下に入り込んできた。

僕は発作を起こし注射💉を打たれた。

注射液が血管を通って巡り、眠気が襲ってきた。目を閉じながら祈った。

これが夢であることを、眠りから覚めた時は何も覚えていないことを。