ブログネタ:運命の人っているの?
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「運命の人はいるのか?」
という疑問に関しては、大学時代に友人と語り合ったことがある。
そのときは夕飯の時間(18時くらい)から語り始め、
気がついたら、24時になっていた!!
しかも、ただ単にノリで語っていたわけではなく、
心理学・社会学・哲学・言語学などなど、
いろいろな学問を勉強している友人たちが集まったので
本当に「語りの場」であった・・・
そもそも「運命」とは何か?
【運命】
生前から既に定まっていて、人知の及ばないものと考えられている、その人の生死や身の上に起きる幸・不幸、苦楽などの巡り合わせ。
『新明解国語辞典 第七版』より
とある。
「運命」が本当にあるのかないのかは別として、
あるとするならば、自分勝手に変えられるものではないようだ。
では、本題である「運命の人」っているのだろうか??
『新明解国語辞典 第七版』の表記から考えると・・・
【運命の人】
その人にとって、その人が以後の人生(その時どきの幸・不幸)を左右する上で決定的な役割を果たしたととらえられる人であること。
とあり、これはとても大事なことを示しているように思う。
例えば、みんなが、特に恋愛において「運命の人」と考えるのはどんな人か?
それは・・・
「これまで生きてきて接した中で、これまでの人以上のものを感じる人」
ではないだろうか?
だから、もし他にもっと気の合う人や、もっと好きな人が現われたとき
「あの人は運命の人ではなかったわw」
と言うことになる(言うはめになる)
つまり、みんなが普段使っている「運命の人」というのは
一つの「レッテル」であり、
その人が、任意に選んだ人に、勝手にはり付けているだけである。
しかし、自分で勝手に判断している時点で、
それはもはや本当の意味での「運命」の人ではない・・・。
では、本当の意味での「運命の人」に気づくのは、いつなのか?
もう一度書くが・・・
【運命の人】
その人にとって、その人が以後の人生(その時どきの幸・不幸)を左右する上で決定的な役割を果たしたととらえられる人であること。
とあるため、
人生のかなり後半でしかわからないことになるのだ。
しかも、こういう場合もあるかもしれない・・・
80歳くらいで、もう人生も終わりかと思われたとき
あとわずかの人生に劇的な変化を与えるような人と会うという場合だ。
つまり、そのように考えていくと
誰がどの程度、自分の人生を左右するだけの役割をしたかどうかは
死ぬ直前までわからないのだ。
自分が死んでから
他の人が判断することはできるが
自分が「運命の人だと認識でき、かつそれを実感できる」のは
死ぬ直前の一瞬だけだ
と思う。
今日もまた、深いブログになってしまった
長文読破おめでとう