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 こんにちは。

 

 このブログをご覧の皆さんは仕事についてどうお考えだろうか?人はなぜ働くのか?

 仕事をすることにより収入を獲得し、生きるための食事や楽しむための娯楽へと金を費やす。

 しかし、仕事の中では、どうしても嫌なことに遭遇する。例えば上司。例えば業務。仕事がなく収入が得られたらどんなに幸せだろうかと考えた労働者はそう少なくはないはずだ。しかし、仕事がなければ生きていくことができないのがこの世のシステムである。特に過労働、過労死が盛んなこの国では、労働への嫌悪感は世界の中でも最も高いとされている。無論、仕事によってやりがいを獲得し、それを人生の目的として生きがいを得ているものもいる。

 

 そこで先ほどの質問に戻させていただきたい。仕事なくして収入を得ることが本当に幸福へと導かれるのか?

 

 私はそれに対して常にノーと言い続けている。

 

 しかし、私の意見とは反対に世の中では「ベーシックインカム」の導入が考えられている。

 

 これから先人工知能の発達とともに、我々の職は徐々に奪われて行くことになる。その為、人工知能が労働により富をもたらす代わりに、政府が市民に年齢に関わらず無条件で、すべての国民に必要最低限の金額を支給するという制度がベーシックインカムが考えられている。

 

 今世間ではベーシックインカムによるデメリットよりもメリットの方が強調されている。メリットというと仕事をしなくていい代わりに、趣味や娯楽が増え、さらに今まで挑戦するのが難しいとされてきた仕事に時間を費やすことができる。

 また個人だけではなく、所得が増えるので国全体の出生率の改善にもつながる他、平等に金額を与えられるために格差や貧困問題にもいい影響がある....

 と世間は主張している。

 

 これに対してこう言いたい。

 

 Ridicurous !

 

 ベーシックインカムの反対派の大多数は国民の労働意欲の低下を心配している。

 因みにこの不安は正しい。さらに心配するのは労働意欲の低下だけではなく、教育にも影響が出るだろう。人はなぜ学問を修めるかに対しての大半の答えは「働くため」であるからだ。学問の意欲の低下は国を治める意欲の低下に等しい。

 さらに、日本では出生率の低さ以前に、異性との関りが非常に乏しいのが原因のため金銭による解決は皆無だといっていい。

 

 話を変えるが、少子高齢化、出生率の低下の問題を抱える今日の日本では、残念なことに労働力をロボットで代用するのが得策だと考えている。そして近年では人工知能のロボットが仕事に導入されている。ヒトよりも効率のいいアイディアを生み出す頭の回転の速さや、膨大な量のデータを一度にインプットすることで、ヒトよりも優秀な分析を行うことができるのは言うまでもなく評価されている。ここで先ほどの話に戻らせてもらう。誰がこの国を治めるのか。このままだと人工知能という結論に至ってしまうだろう。すなわち我々が働かず考えるべき問題に頭を使わない間、人工知能が頭を使い、また進化し我々の想像を超えていく存在になる。そこからさきに待っているのは人工知能による完全な支配なのである。

 

支配というと聞こえが悪いかもしれない。そこには必ず支配者がいて支配下にある者を服従させるといったニュアンスが隠れているからだ。では支配下にいれば幸せになることはできるのだろうか。毎日餌を与えられ、安心な生活と安全を保障されて人間に飼われている家畜は幸せだと感じているのだろうか。というより己で感じることさえも難しいはずだ。

 ここで忘れてはならないのが、本当の支配とは心さえも支配されるからである。

 

 ここで一つ面白いお話を紹介する。

 2010年に起きたチリ落盤事故をご存じだろうか?

 33人の作業員が地盤の崩壊により69日もの間、地下に閉じ込められたという事故である。

 17日間、作業員は48時間ごとにツナの缶詰を小さなスプーンに 2杯、牛乳を半カップ、ビスケットを1枚ずつ分け合い、救助を待ったという。

 やがて外部との連絡が可能になり、それは作業員たちの欲しいものが支給され厳しい環境下の中で衰弱していく精神を紛らわすための娯楽を含む十分な物資を手に入れることになった。

 

 69日後に救出され世界中が感動した一方、あるメディアではこのようなことを報じている。

 

 「どうしてか彼らは以前よりも幼くなっている」

 

 長い地下生活の中で彼らは欲しいものが簡単に手に入る生活をしていた。

 野生動物にさえ備わっている「生」への執着心は、生きるための食物を狩るための自立を芽生えさせ、独りで生きていけるための能力を維持させることになる。

しかし、彼らの与えられるだけの生活は、「生存」するための概念が地上よりも衰えるどころか、「生」に向けられる自己管理やそれに対する必要事項を考えることさえも不要物となってしまった。

 当然ながら責任感や義務感も必要ない、地下というゆりかごの生活が無力な赤ん坊のようにさせてしまったのだといえる。 

 私は生物的にいえば、ただ与えられて生きるということは、生き物の本能を無力化させてしまうということを確信していると同時に、それは幼児化させてしまうのだということも確信している。

 

 例はこのチリ落盤事件だけにとどまらず実は古代ローマ市民も奴隷に労働させ資源は自動的に入手できるというようなベーシックインカム制度のような生活を送っていた歴史がある。

 市民は毎日豪華な食事やイベント、昼寝などを楽しんでいたという。

 ついにはローマ帝国は崩壊するのだが、その理由は様々だ。だが一つ明確に把握されているのが、娯楽を楽しみたいがために体に負担をかける妊娠期間を避けるため、出生率が下がったという。

 さらに、市民は物質から得られる快楽ばかりを求めていたため、モラルの低下が激減したと言われている。となると当然のことながら国を治めることを考える機会も減っていったのだろう。

  

 モラルと言えば、我々は教育機関によって、幼いころから人への言葉の使い方や、話し方、マナー、態度、振舞い方などのモラルと言われる模範が存在するが、それらは常にどこに向けられているかと言えば「社会」だろう。社会に出るという一人の一人前という見本を見習い学習し、また他者との共存を図るための義務や責任感を築いていく。

 ベーシックインカムにより社会という規範に進出する必要が無くなれば、モラルは当然低下する。そのモラルの低下は当然人との関りにも影響する。それは人間関係の希薄化につながる。心理的にいえば人間関係の希薄化は孤独感を生みやすく、幸福感を得るきっかけを生み出してしまう。

 

 それよりもそもそも学校に行く必要性すらも感じなくなるかもしれないのだが。。

  

 ここまでは実に考えられるお話なのだが、次の話は少し現実味を帯びたあり得そうだと考えられるお話である。

 他者との関りが著しく減る中、現代の溢れかえる娯楽をやがて退屈と感じ、自分の好きな無限の世界へ没頭したいと感じるようになる。その欲求はVertual Reality(VR)の技術によって解消される日が来る。

 VR技術は映画マトリックスのように脳につないで五感を刺激することさえも可能と言われている。つまりバーチャルではなく現実世界で生きているような感覚でいられるいわばもう一つの別世界といわれるパラレルワールドが一人につき所有できるというところだろうか。

 自分の好きな世界への居住はついには現実世界への関心を薄め、現実世界に起きるあらゆる問題にさえ目を向けない。それもそのはずで、もうその頃には人工知能がその問題を解決しているからだ。そうして機械による支配という最大の問題にさえ気づくことができないという問題にさえ気づくことができない。それこそが上記にある完全な支配なのである。

 

 この世は常に上下関係が存在する。

 ルールは単純で強いものが支配する。ベーシックインカムによって幼児化させられる可能性を持った我々はより支配されやすくなるだろう。

  何に? 答えは人工知能によって。

 そしてふと気が付いた時には、とんでもない不自由の中で生きていることに気が付くだろう。

 何故か?

 考えて欲しい。我々大人はどれだけ幼い者を縛り付けるか。

 

 これからさらにベーシックインカムにより議論は続くだろう。スイスでは国民投票により否決されたがこれは序章にすぎない。何故ならば人工知能による失業がまだ起きていないからだ。

 目で見えるものが溢れかえることによって物質主義になったこの世の中では、幸福はどれだけ贅沢で、便利な生活をしているかという指標を目安に考えられることが多い。

 一度思い出してほしい。人生の中でいい思い出はそんな物質に縛られていないはずだ。そこには必ずと言っていいほど自分の愛すべき大切な人がいる。

 クサいと言われる台詞を挙げてみよう。愛、友情、絆。これからはそんなクサくて目に見えないものが必要になってくる。そしてそれらを大事にしている人ほど幸福度が高い。これはどの時代でも変わらない事実だ。

 

 どの時代でも目に見えるものより目に見えないもののほうが重要であることは変わらない。そしてそれは、お金では買うことはできず、生涯にわたって永遠の価値を生む。

 現代のような情報社会だからこそ言わなければならないことがある。

 このブログをご覧の読者はインターネットを通じて様々な情報を得ているがその情報は常に事実でしかない。マスメディアで報道される目だけで知ることができるような情報には本当は陰に隠れてるだけの知るべき真実が存在する。

 

 これからの時代では、本質を得るための内側を見通す新たな目が必要になる。

 その為に周りに流されるのはもう止めにしよう。己を見失うのはなおさらよそう。

 この第4次産業と言われる産業革命は新たな市場を生むだけでなく、新たな環境を生む。そして強い者がその環境下で生き残るのではなく環境に適応した者こそが生き残ることができる適者生存の社会になるだろう。

 そこで問わなければならない。本当の「生」とは何か。

 

 さて、これでようやく長文が終わりになるのだがいかがだっただろうか?メディアでいえばこれまで通り、ベーシックインカムにより世の中が明るくなっていくと伝えていくかもしれない。

 一方、反対に私の意見に賛同するものもいるかもしれない。

 あなたは?と聞かれたらすぐに答える準備はできているだろうか?出来ていないならすぐに用意したほうがいい。もうそんな未来はすぐそこまで迫っている。

 賛否両論があるだろうがもちろんベーシックインカムに賛成しても構わない。

 全ては自分次第だからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新年とうとやはり去年の出来事を振り返ってしまうものだ。このタイミングでブログを書こうと思ったのもその理由かもしれない。

 振り返るものはというとまずは自分である。去年の自分はどうだったか。或いは世間の出来事。去年はというと最も注目を浴びたのが間違いなく、ドナルド・トランプだろう。世界中でジョーカーを引き当ててしまったと思っている人々が多いように思える。

 

 ジョーカーというとババ抜きでいえば最悪の札になる。誰しもジョーカーを引かないように注意を払い、引いてしまったときは最悪の気分になる。しかしこれだけは言える。まだゲームオーバーというわけではない。

 

 2017年から新しくトランプが大統領に就任することになる。大統領選挙前の街頭インタビューではもし彼が当選すると別の国に移住することを検討していると述べた人や、もう愛国心すら持てなくなると答えた人もいた。

 彼の過激な発言は当選直後にやや柔和に、穏やかな表現に修正されており、彼の真意が未だに掴むことができない。もしかするとバラク・オバマによって説得されたとも考えられる。

 

 「人民の、人民による、人民のための政治」

これは第16代アメリカ大統領が遺した言葉である。私個人これは我々国民も政治家の一人なのだと表現していると解釈している。

 

 今年からアメリカ大統領が変わったため、世界が大きく変わるかもしれない。もしかすると大衆の不安通り悪い方向へ変わるのかもしれない。

 私はアメリカ合衆国の国民ではないが、アメリカ国民であってもこう言うだろう。

 絶望する必要はない。なぜならば、我々はは大きな権力に立ち向かえるだけの声と、みなで団結できる心を持っていることは変わらないからだ。

 


みなさん調子はどうだろうか?人間である以上誰だって一日の間に嫌なことがあってもおかしない。

 そんな人間には2種類の人間がいるという。善い人と悪い人である、なんて説は本当なのだろうか?人は誰でも善いところを悪いところを持っている。

 今日はその善いところを紹介したい。

 ホームレスに仕掛け人がピザを与え、別の仕掛人がピザをもらうよう頼む。これはホームレスからピザをもらった仕掛け人がお礼にお金をお返しするというニューヨークシティで起きた慈善に満ちた行為である。 
 はじめの仕掛人はランダムに見知らぬ人にピザを一切れもらうよう頼む。しかし、一向にもらう気配がなく結局一切れももらうことはなかった。
数時間後ETとデニスと名乗る仕掛人はホームレスにピザを与える。その後別の仕掛人がそのホームレスからピザをもらうことに成功する。
 
 ●最後の仕掛人の会話の訳
「こんにちは。おなか減ってるんだけど一切れピザもらえないですか?本当にかまわないですか?感謝します。あなたの気持ちわかりますよ。ひどいもんですよね。どれだけ感謝をいっていいか、ありがとう。私はもう行きます。もう一度お礼をいいます。ありがとうございました。それとこれは支援金です。少ないけど。」
 
 最後はこんなメッセージで締めくくられていた。
「人生の中で自分たち得るものが自分たちに生活を作る。
我々が人々に与えるものが人生を作る。
誰一人として軽蔑してはいけない。彼らを助けようとしない限りは。」

 社会は完全に彼を見捨てたのかもしれない。
 しかし、その中で生きる人々の中には彼を見捨てることができない人がいる。
 この感動を目撃したり、体験することで他人にも同じ気持ちになってもらおうと言葉で誰かに伝えることができるのは人間のいいところである。
 そしてこの輪が周りに広がっていくというのであればなおさらだ。
 そして今この動画によって何かを感じたというのならもうこれ以上言葉を綴る必要はないということだ。