以下、宮崎県庁HPより転載。


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県では、4月20日の本県における口蹄疫発生以来、口蹄疫防疫活動により影響を受けた畜産農家に対する支援を行うため、5月14日から「宮崎県口蹄疫被害義援金」を下記により募集しておりますので、ご協力をお願いします。

1 義援金の名称

宮崎県口蹄疫被害義援金

2 義援金の使い方

義援金の配分については、県、社会福祉法人宮崎県共同募金会及び関係機関で構成される義援金配分委員会において決定し、市町村を経由して口蹄疫により被害を受けられた畜産農家に配分します。

3 実施主体

宮崎県、社会福祉法人宮崎県共同募金会

4 義援金の募集方法について

宮崎県、市町村、共同募金会市町村支会に募金箱を設置し義援金を募集します。

※ この義援金は、法人税及び所得税の優遇措置を受けられることになりました
  (国税庁ホームページ:http://www.nta.go.jp/sonota/sonota/osirase/data/h22/kouteieki/02.htm )のでお知らせします。詳しくは、お近くの税務署にお問い合わせください。
※ 口座振込による義援金募集については、以下の金融機関の口座で受け付けておりますので、よろしくお願いします。

  • 1 ゆうちょ銀行口座
    【ゆうちょ銀行でお振り込みされる場合】
    記号:01740-9
    番号:69998
    口座名:社会福祉法人宮崎県共同募金会
    【ゆうちょ銀行以外の金融機関からお振り込みされる場合】
    金融機関名:ゆうちょ銀行
    店名:一七九(いちななきゅう)店
    店番:179
    預金種目:当座預金
    口座番号:0069998
    口座名:社会福祉法人宮崎県共同募金会
  • 2 宮崎銀行 本店
    預金種目 普通預金
    口座番号 1062303
    口座名義 社会福祉法人宮崎県共同募金会
    会 長 佐藤 勇夫
  • 3 宮崎太陽銀行 本店
    預金種目 普通預金
    口座番号 1326266
    口座名義 社会福祉法人宮崎県共同募金会
    会 長 佐藤 勇夫
  • 4 宮崎県信連 本所
    預金種目 普通預金
    口座番号 0017650
    口座名義 社会福祉法人宮崎県共同募金会
  • 5 高鍋信用金庫 本店
    預金種目 普通預金
    口座番号 1354623
    口座名義 社会福祉法人宮崎県共同募金会
    会 長 佐藤 勇夫
※ 2の宮崎銀行口座については、支店及び全国地方銀行協会加盟行
  (社団法人全国地方銀行協会ホームページ:http://www.chiginkyo.or.jp/06_link/index.shtml )からの振込手数料はかかりません。
 3の宮崎太陽銀行口座については、支店及び第二地方銀行協会加盟行
  (社団法人第二地方銀行協会ホームページ:http://www.dainichiginkyo.or.jp/jp/about/list/ )からの振込手数料はかかりません。
 4宮崎県信連については、宮崎県内JAからの振込手数料はかかりません。
 5高鍋信用金庫については、全国の信用金庫からの振込手数料はかかりません。
※ その他の金融機関は振込手数料がかかります。
※ 中央共同募金会におきましても、yahooホームページ(http://volunteer.yahoo.co.jp/donation/detail/341007/ )を通じて寄附を募集しておりますので、参考にお知らせします。

5 募集期間

平成22年5月14日(金曜)から7月30日(金曜)まで

6 問い合わせ先

  • 宮崎県福祉保健部福祉保健課
    電話 0985-26-7074、0985-26-7075 Fax 0985-26-7326
  • 社会福祉法人宮崎県共同募金会
    電話 0985-22-3878 Fax 0985-22-3879

【参考】

上記の被害畜産農家に対する「宮崎県口蹄疫被害義援金」とは別に、県が取り組む口蹄疫対策に対し寄附していただける場合は、インターネットからでも利用できる「ふるさと宮崎応援寄附金」(いわゆる「ふるさと納税」制度)などの寄附制度(税制上の優遇措置を受けられる場合があります。)があります。
制度については県庁のホームページ(http://www.pref.miyazaki.lg.jp/furusato/ )をご覧いただくか、次までお問い合わせください。

  • 個人の場合
    宮崎県総務部財政課(電話:0985-26-7014 Fax:0985-29-8789)
  • 法人の場合
    宮崎県県民政策部総合政策課(電話:0985-26-7115 Fax:0985-26-7331)

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以上です。最近、テレビでも口蹄疫問題が報道されるようになりましたが、殺処分が完了するまでにも、まだまだ道のりは長いですし、この先何年も廃業された畜産農家の方々の苦労は続きます。


全国のスーパーやコンビニ等でも義援金の募集がはじまっております。みなさんの温かい善意をいただけると、一宮崎県民としてとてもうれしく思います。


どうかよろしくお願いします。

 このブログ、読者登録されてる方っていらっしゃいますか?もしいらっしゃったら、一言コメントいただけるとうれしく思います。


 「バ○」でも「ア○」でも何でも構いませんので(笑)あっ、ただし本気では言わないでくださいね。結構デリケートなので(涙)


 めったにブログなんて書かないのにこんな内容ですいません(汗)ちょっと気になったものですから・・・。

 今年のNPB新人研修での木村拓也コーチの講義が、とても考えさせられる内容だったので、このページを開いた方にぜひ読んでいただきたいと思います。


 読売巨人軍公式ホームページより

http://www.giants.jp/G/gnews/news_392604.html

 

  ↓  ↓  ↓


NPB新人研修 木村拓コーチ講義内容

 高校時代は4番を打っていて、捕手でした。19年間プロ野球選手をやって、最後は2番・セカンドになった。そのいきさつを話そうと思います。
 
 1990年のドラフトで、僕は指名されませんでした。当時は6位までに指名されなかった選手は、「ドラフト外」で自由競争でした。僕は高校通算で35本塁打打っていて、宮崎県のお山の大将で、ドラフトで自分の名前が出ないでショックでした。ドラフト外で日本ハムに入団する時に、スカウトから「入ったら横一線だから。プロの世界は自分が頑張って結果を残せば、一軍に上がって大変な給料がもらえる」と言われました。
 
 でも入ってみるとちょっと違っていた。新人のみなさんはキャンプを1か月やって、「これならやれるな」と思った人と、「すごい、ついていけないかも」と思った人がいるでしょう。僕はキャンプ初日にシートノックでボール回しをやった時に、「とんでもない所に来た」と思いました。プロのスピードについていけない。ドラフト外というのもなるほどな、これはすぐにやめて田舎に帰らないと、と思いました。
 
 当時、開幕前に60人という支配下登録の枠がありました。僕は登録されなかった。新聞に任意引退選手と出て、故郷から「2か月でやめるのか」と電話がありました。今の育成選手は、二軍の試合に出られるし、シリウスやフューチャーズがある。僕の時には支配下からもれたら、試合に出られず、ひたすら練習。「何しにプロ野球に入ったんだろう」。今の育成は、野球をやるチャンスがある。どんどんアピールして頑張ってほしい。
 
 2年目に、一軍にけが人が多く出ました。二軍の野手が一軍に呼ばれて、二軍監督から外野を守るよう言われました。試合に使ってもらえるならと外野手をやり、まず第一歩を踏み出しました。そしてファームで1番を打っていた選手が米国に野球留学し、他はけが人も多く「1番がいないから、お前が打て」とコーチに言われ、何て運に恵まれているんだろうと思いました。そして9月、一軍にけが人が多く、初めて一軍に上がりました。結局、2年目は3本ヒットを打ちました。
 
 3年目は開幕一軍でしたが、ほとんどが守備要員でした。1か月ほどで二軍に落ちて、それ以降は一軍に上がらずでした。3年目のオフに転機がありました。9月末から12月末の4か月間、ハワイのウインターリーグに参加し、イチロー選手といっしょでした。1歳下のイチロー選手に衝撃を受けました。4か月間同じ部屋で、朝起きたらいない。朝からウエートトレーニングをしていたのです。このウインターリーグでイチロー選手は首位打者を獲りました。自分はこんなんじゃだめだなと思い、イチロー選手が僕の野球人生を変えてくれた一人になり、感謝しています。
 
 4年目は、1年間一軍にいましたが、守備要員でした。しかしやっと「野球選手になれたな」と思っていたのですが、広島にトレードになった。正直「何でおれが」と思いました。広島は当時、野村、江藤、前田、音、緒方、金本の名選手ぞろい……僕に入り込むすきはなかった。移籍1年目は数試合に出て7打数で安打なし。「これはクビになるな」と思い、「どうやったらここで生きていけるか」と考えました。一軍のレギュラーの中では、セカンドが確か34、35歳のベテランだったので、セカンドをやるしかないと練習するようになりました。
 
 移籍2年目は、一軍を行ったり来たり。それまでは右打席でのみ打っていましたが、左投手の時には代打で出られるけれど、右投手だと代えられる。どうしたら代えられないようにできるか。左打席で右投手が打てるようになればと、スイッチヒッターに取り組みました。自分が生きていくためには必要だと。
 
 スイッチヒッターになって、1つ気づいたことがあります。例えば右打者の時、右投手の外の真っ直ぐと左投手の外の真っ直ぐは同じではなく、角度が違う。スイッチヒッターは、練習は人の倍やらないといけないが、右打席の右投手のような、自分の体に近いところから来る球がなくなりました。球種が半分になったようなものです。打つのが一番難しいのですが、体に近いところから遠いところに逃げていく球がなくなった。それに気づいてからは打てるようになりました。プロに入って9年かかって、10年目に136試合フル出場しました。野球選手の平均寿命が8、9年で、自分がそこまで生き残れました。
 
 今、みんなは希望にあふれて「レギュラーを獲って生き残ってやる」と思っているだろうが、必ず壁にぶつかる。そんな時、少し言葉で考えると、僕みたいに生き残れる。ざ折してあきらめるのか、そうでないのか、自分で考えないといけない。
 
 そして34歳の時、トレードでジャイアンツに来ました。広島が若手選手への切り替えを図っていて、僕は出場機会が減りそうだったのですが、子供はまだ小さく、家のローンも残っている。「トレードに出してください」と球団にお願いしたのですが、決まったのが(戦力が充実している)ジャイアンツ。「出番を求めているのに、何でジャイアンツなんだろう」と思いましたが、入団してみると、けが人が続出してチャンスがもらえた。
 
 最後にジャイアンツに入って、3連覇や日本一を経験し、勝つ喜びを知った。今までは自分の事だけを考えていました。プロ野球選手になると自分が成功するために、どうしても自分の事ばかり考えてしまう。しかし勝つ喜びはものすごくて、言葉では言い表せない。みなさんも、自分が活躍して優勝するんだという気持ちを持ってほしい。
 
 自分は「こういう選手になろう」と思ってここまで来た選手じゃない。こうやるしか思いつかなかった。それが「ユーティリティープレーヤー」、「何でも屋」で、それでもこの世界で食っていける。「レギュラーになる、エースになる」だけではない。巨人の藤田宗一投手は、中継ぎ登板だけで自分と同じ歳までやっている。それで飯が食える、それがプロ野球。「俺が一番うまい」と思って入団して、一番得意だった事がうまくいかない。それもプロ野球。その時にあきらめるのではなく、自分の話を思い出してほしい。投げ出す前に、自分自身を知って可能性を探るのも必要ではないか。






以上です。


 この講義内容には、生きるヒントがたくさん隠されてるような気がします。私自身、木村拓也コーチとは高校が同じで、木村拓也コーチが先輩にあたるわけですが、このような素晴らしい先輩が、母校にいらっしゃったことを、とても誇りに思います。


 改めて、木村拓也コーチのご冥福をお祈りします。

いきつけの店で「豚しゃぶすき焼き」食べましたブタ

これは栄養満点でうまい!!


タイコおばさんは三日坊主!!!-CA3B0741.jpg
肌寒いってもんじゃないですね。ここ数日の寒さは我慢してたんだけど、さっき起きて暖房つけちゃいました。

このくらいの寒さで「寒い」とか言ってたら北国の方には笑われるでしょうが。例年宮崎はこの時期は半袖でも暮らせるくらいあったかくなってるものですから。

4月になったら少しはあったかくなるのかなぁ?

新たな一週間が始まりますね。週末は携帯いじるだけいじりまくったので、今日から仕事がんばります。