ちょっと書き込みに間が空いてしまいました。


先日断食について、絶賛コメント書いたんですが、

訂正せざるを得ないですね。

断食自体というか、断食してる間については、

先日書いた通りで、素晴らしい時間ではあるんですが、

思ったんですけど、断食って、ユンケルなんですよ!

ユンケル飲むと、一時的にパワーというか、高揚感と乗り切る力みたいなもんが溢れますよね。

あれって、云わば体力の前借みたいなもんで、

その後逆にドンと落ちる感じってありませんか?

おっさんは、そうなんですよ。

断食って、あれに似てるんです。

食を断ち、肉体や脳に危機感を煽り、生命力が溢れるんだけど、

その分その後、徐々に食を戻していく(戻さざるを得ないですよね)間に、

落ち込むというか、精神的に鬱っぽくなるし、

肉体的にも、どこが悪いということではないですが、ダルな感じで、何もする気になれない。

なんだろ~、この感じ、って思って考えて、

あ! これってユンケルだ!! と思った次第。

エネルギーの前借して、その後反動が来る。。。


まぁ、自己流断食だったんで、ちゃんと指導を受けてやれば、

もっと軟着陸は出来るのかもしれないけど、

基本は、きっと変わらないんじゃないかしらん?


オモシロいといえば、オモシロい、

シンドイといえば、シンドイ体験でした。


やっぱ、あんまり極端なことしちゃいけませんね。。。


ようやく平常に復旧したんで、これからは普通に生きていきます、ハイ。

神楽坂の裏道にある一軒屋レストラン。

野菜の美味しい店でした。

初体験野菜がいっぱいありました。

バーニャカウダとか、素材の味で勝負!って感じ。


ワインも美味しゅうございました。


お洒落な方々でいっぱいで、おっさんには似合いませんけど。


(写真ぐらい撮っておくべきだな。。。)

プチ断食して、すご~く良かったし、

玄米食も、コメの味を堪能出来て素晴らしかったんだけど、

食事量を徐々に増やし、通常生活になっていくにつけ、

あの「世界がキレイ」な感じがどんどん鈍くなっていってしまう…

残念だけど、断食したままって訳にもいかないし、

仕方ないんだけど、本当に惜しいなぁ。。。


ついでに、昨夜つくった一品「きゅうりの味噌セロリ風味サラダ」。

野菜高の中、きゅうりが安かったんで、ブツに切って塩振りました。

さぁ、どうしようかな?と思い、冷蔵庫見る。

セロリが余ってたんで、コレ使おうかな…と。

で、味噌(もう塩を打ってあるんで、塩分控えめ白味噌)を味醂で溶こうかな、

と思ったんだけど、

ちょっと酸味があった方が良い気がして、

ヤクルトでのばしてみました!

で、セロリを刻みいれ、

とろみをつけるためオクラをみじん切りにして入れて、

ちょっとアクセントに豆板醤入れて掻き回し、

きゅうりに和えてみると、爽やかで意外にイケル。

家族も喜んで食べていましたよ。

ヤクルトと聞いてからは、明らかに引いてましたけどね(笑)

昨夜『必死剣 鳥刺し』なる映画を観ました。

どうやら昨日までの上映だったようですね。


中澤さんの美術が良かったなぁ~。

ロケも、セットも、派手じゃない(作品的に派手にゃできまい)けど、

非常に良く出来ていました。

東京で、しかも貧乏撮影所育ちでも、やれば出来る!

ロケが非常に上手くいっていることもあり(制作部、お手柄!)、

端然としたたたずまいの世界観が、

リアルに観客を取り囲んでいるような気がしました。


絵的には、豊川さんが笠かぶって一人歩いているカットが、

美しかったなぁ~(パンフの表紙にもなっていましたね)。


監督は、平山さん。

パンフ見て、相変わらずバンダナ巻いてるんで笑っちゃいました

(助監督時代から、ずぅ~~~っと変わっちゃいないんですよ)。

映画界で、助監督から叩き上げで、

ちゃんとコンスタントに撮り続けていられる希望の星たる監督です。

頑張って下さい(なんて本人前に偉そうに言えないけど)。


驚いたのがプロデューサーに江川さんの名前がクレジットされてたこと。

○川お辞めになられた後、どうするんだろう?

と、陰ながら心配しておりましたが、見事復活ですね!

おめでとうございます。

あやかりたいです。

夫婦で一緒にお仕事されてるなんて、もう美談ですねぇ~~~!!

「製作・脚本」に秀裕さんの名前があるだけに、余計に美談に見えます

(余計なこと書いてしまった…)。


以上。

とあるサイトを偶然見つけて、いやもう驚いたのなんのって!!!


前の会社(っていっても新卒以来一社しか勤めちゃいないが)の時に、

上司に紹介され、一緒に仕事し、余りにも無責任! いいかげん! 時間・期限守らん!

で大迷惑を蒙った某自称ジャーナリスト様。

あの仕事の時、余りのズサンさに上司紹介だとはいえ、

遂に切らざるを得なかった

(だって、打ち合わせに来ない上に、何の仕事もしないばかりか、ギャラの前借要請するツラの皮!

期限過ぎに提出される成果物モドキもプロと呼べるレベルではなく、全く使えず…)

あの、あの、クソジジイ、いや、一時多少著名だった自称ジャーナリスト様が、

こともあろうに、雑誌やサイトを立ち上げ、編集長とか名乗っていた!!

前にやっていた仕事とは、まったく関係無いジャンルで。

要するに○翼になっていたんですけど。。。

驚きましたねぇ~~~

そういうケの少しもなかった(というか思想的政治的なことなど語る能力など有していなかった)自称ジャーナリスト様。

あの頃(5年前ぐらい)既に自己破産状況で、妻子にも逃げられ、

だからこそ「気持ちを入れ替え、気分一新頑張ります」と言っていた自称ジャーナリスト様。

それでも、まったく仕事のレベルになることが全然出来なかった自称ジャーナリスト様。

食うために、○翼になって活動することで、

生活の目処を立てたんですね、きっと。

○翼、スポンサーがつくんですね、きっと。

あれだけ明確に○翼を看板にして、もう他のこと、出来ないでしょうね、きっと。。。

いやぁ、ホントに驚いた!!

上司の顔に免じて着手金だけ払ってお別れする時、

この人今後どうなるんだろお??? と腹立ちのなかにも心配になった覚えがあるけど。


でも、やっぱシゴトしてご飯食べてるんだなぁ。

ある種エライ!

立派!!

おっさんには、真似出来ない。

いや、食うために何事か貪欲に探し、コナス、という意味では真似しないと!!

○翼は嫌だけど…


今何もしていないシツギョーシャのおっさんより、あの方のが、

社会の一部として何事かの機能を果たしている分だけ、生きているな。うん。


いろいろ考えさせられた暑い夏の午後でした。。。


PS:自称ジャーナリスト様、頑張ってください。連絡は絶対しないけど(笑)

まさに3日書いて、空白でしたねぇ…


おっさんは、忘れっぽいのでした。はぁ。


さて、そんなおっさん、実はけっこうマジに体調悪く、

3日間ほど固形物を何も摂取出来なかった&最後の方はしないで、

プチ断食状況から、本当にプチ断食に移行したのでした。

なんか、食わないと、生命力が溢れるというか、世界がキレイに見えてくるというか、

非常に良い感じなんですよぉ。

最初は単純に体調崩し、下痢が止まらず、熱も出て、食べられなくなってしまったのです。

で、腹は何も入れなければ自然と段々良くなっていったんですが、

最後はもうちょっと食べたくない、と思って、とりあえず完全に3日間食べなかったのでした。

というのも、さっき書いたように、世界が清澄・キレイに見える不思議な感覚にとらわれたので。

なんだろうね、この感覚!

感覚が(繰り返しこの言葉を使うが)キレイになった感じで、

ポジティブにしかものごとを考えられなくなる。

初めての感覚でした。

生命の危機に対して、脳がすごくアドレナリンを出しているんでしょうか?

でも、興奮するというのではなく、平静でスッキリした感じ。

今まで仕事があった時は、体調が悪くなるとすぐに医者に行って、

注射とか点滴とかで即効効く薬入れて、

更に経口薬とかで、強制的に立ち直らせちゃう感じだったんですが

(まぁ、それが普通でしょうが)、

今回は、愛する高峰秀子様が医者嫌いで病気も自然治癒を待つ、

という斎藤明美さんの著書の中の言に従い、

「自分の病気を堪能しよう」と思い、医者に行かなかったのでした。

そしたら、当たり前だけど、治りは遅かったですね。

でも、体調不良なり、病気、っていうのは、

言わば自分の体が正常化しようとする試みでもある、という気がしました。

下痢で食べることもままならない状況だったんですが、

なんか凄くデトックスした感じ。

体重5kgほど落ちたんだけど、シツギョー以来徐々に太り始め、

人生最重量状況だったものが、戻ったに過ぎないのでした。

要するに、おっさんには、あの体重は重すぎた。

だから、肉体が自動調整するために、体調不良になった、そう思えたのです。はぁ。

今胃腸の中が空っぽで、5kg落ちだから、実際にはせいぜい2~3kgぐらいの落ちですか?

と思い、このキラキラした感じと、体重を維持をするために、

参考ということで、断食道場のサイト見てみたら、

要するに、この後玄米食を少ひずつ食べればよいということが分かりました。

で、少量の玄米&一汁一菜から食を再び始めたのですが、

なんでこんなに美味いんでしょう、食い物って!

味噌汁一杯に深く感動!! 漬物一切れにも広がる喜び!!

毎食一つ一つの具材をいとおしむが如く堪能してしまう自分がいます!!!

味が、くっきりよく分かるんですよぉ~。

しばらく、この状況が楽しめると思うと、多少の空腹感はありつつ、

もうちょっとこの玄米食の粗食を続けていこうと思っています。

そして、年に1~2回は、こんなことをやってみたいとも思いました。

いやぁ、本当に良い体験でした!


…っていうか、まだ日常への軟着陸中ですがね(笑)

先の書き込みをして、また寝込んでしまったのだが、

書名を書いてそれだけ、というのも、

ブログを書いてる意味がないので、自分のメモ的に以下少々。


最近この著者や、その言い分についての本やTVなんかが頻出していたので、

最初の方に書かれていたことは、なんとなく常識として知っていました。

要するに、細胞の死には、「ネクローシス」というものが旧来認めらてきたが、

70’s以降「アポトーシス」なる細胞の死が認められる、ということ。

それは、たんぱく質の設計図たるDNAに書き込まれた、

プログラムされた細胞の自死、という訳です。

例えば発達の過程の中で、

例えば新陳代謝という形で、

それは当たり前に、謂わば健康的に常に行われているらしい。

ガン細胞なんてのは、常に体の中に生成されてるんだけど、

アポトーシスが起こり、ガン細胞の異常増殖は抑制されている、なんて話が続きます。ふむふむ。


全体の維持のため、異常とか役立たずと診断された細胞は、自死するのね。

ワタシみたいなシツギョーシャは、アポトーシスが全体的に働くのかしらん?やたらと自殺します。

ヒトラーからすると、、、 なんて話は怖くて書けません、はぁ。


非再生系細胞(脳細胞とかみたいに、分裂再生しない細胞)のアポトーシスを、

田沼さんはアポビオーシスと呼んで区別しています。

再生しない細胞が死ぬんですから、謂わば寿命ですな。

で、細胞がアポトーシスして細胞が50~60回分裂再生したら、

それ以上分裂出来ないという「ヘイフリック限界」をおこす年月と、

このアポビオーシスが訪れる時期というのが、

人間の場合、まぁ100~120年というところらしいです。

それ以上は、まずどんなに資質が良く、努力しても、生きられない。


ここまでが前提。それで、自分史というか研究史の説明があって、

アポトーシス目線での製薬開発(ガンとかアルツとかゲノム創薬なんて)話とかあって、

最終章「「死の科学」が教えてくれること」になります。

ここ、オモシロいです、前半。それはどんなんか、っていうと、、、


細胞の自死=アポトーシスは、有性生殖が始まった時に生じた、と言ってます。

読む限りそうなんでしょう、きっと。

細かい説明は、興味が湧いたら自分で本買って読んでください。

単純に言うと、自分の生きている環境や、環境の変化に対応するために、生物が変化していくためには、

世代間で変化していく必要がある、ということ。

そりゃそーだ、そうでなければ、いつまでも同じまんま! 進化なし!!

で、その変化をスムーズにするのが、個体の死、という訳。

また、DNAの品質保全のため、

ジジイ(染色体が古く傷ついている)が若い♀を孕ませるのもよくない。

ジジイはさっさと死ぬべし、ってことで死がプログラムされている(悲)

石田さん、種付けしなきゃいいんですよぉ~~~

あ、でも、まだ産めるギリギリの女性(「オバサン」とは書かないでおこう)と、

若い♂の間でも同じことが言えるんでしょう。

種の保存のために、生殖行為は若い男女間で行ってください、みたいなことですか、はぁ。

で、人間の場合で例外的なのが、生殖期間が終わった後も寿命が残ることです。他の種に例がナイ。

そんなことは書かれてないけど、

経験とか知識、或いは社会的機能みたいなものを優先するDNAがあるのかもしれませんね。

ヒトという個性的な種においては、経験・知識・社会的機能が、種の保存のために役立つ、

というDNAの戦略で、生殖期間が終わってもまだヒトに寿命が残るとしたら、

ワタシみたいなオヤジにも生きていく価値があるということになります

(経験・知識・社会的機能があれば、だけど…)。

オモシロいですよね。

で、仮に人間に500年の寿命があったとしても、100年用にプログラムされた脳である限り、

アイデンティティを保てないのではないか?とも言ってます。

同じシャーシ・制御系で、エンジンだけハイパワーにしてもバランス取れないし、機能しない、

ってことですか? 違うか?? まぁいいや…

また、仮に500年の寿命があったとして、種の繁栄と進化の妨げになるとも書かれています。

非常に納得出来ますなぁ。


ですが、最後がイケマセン。

突如アーサー・C・クラーク的な宇宙論を短いページで語ります。

個が種に貢献し、種も地球内の生態系に貢献し、星は宇宙に貢献する。

それが「ダイナミックな大循環」で、「自然の摂理」だと言います。

「安直じゃない?」と思いながらも、ここまでは、まぁ良いとしましょう。

しかし田沼さんは、ここで「生死の意味になにがしかの答えを示せる」と思い上がってしまうのです。

で、「死によって有限をいかに生きるか問える」という認識に立ちます。

そんなのはお釈迦さまが3000年前にシッダルタ王子として悩み始めた最初の地平ですよぉ!

アポトーシスなんて知らなくたって、皆「人が死ぬ」ことぐらい知ってるんだから!!

それでいきなり結論にいくんですかぁ~!?

そんなだから末尾は「「自分とは何か」というアイデンティティを問えるのは、私たち一人ひとりかけがえのない、ほかの誰でもないただ一人の存在だからです。」

なんてシンプルなことになり、

「与えられた有限の人生をしっかり生き抜こうと思うことができます。」

なんて、間の抜けた結語を書いてしまうのでした。

これじゃ、オグ・マンディーノの啓蒙小説と変わるところがありません。

ユニークでもなければ、目からウロコでもないし、誰の人生の処方箋にもなりません。

せっかくここまでオモシロいこと積み上げてきたのに…

また、ドンヅマリに書かれている「死の遺伝子が「利他的に生きること」を本来の姿として求めている」なんて、

最早『宇宙戦艦ヤマト』、西崎バンザイ!になってしまいます(溜息)

とても優秀な薬学者(医学者?)なんでしょうし、非常に興味深く読ませていただいただけに、

そこで十全にシゴトをしていただいて、餅は餅屋ということで、

哲学脳にはアポトーシス、じゃない、アポビオーシスを少々働かせていただいた方が良かったかも、

と思ったエンディングでした。


…と、書いてみたら、メモ書くつもりが意外と長くなってしまった。

初めてなんで加減がわからなかったです。

毎度本読む度に、こんな読書感想文は書きませんから。はぁ。


オナカ痛くなってきたんで、また寝ます。


ではでは~。

あんなに暑かった7月が過ぎ、意外にも涼しい8月だ。

一時は、どうなるんだ8月!? と、恐ろしかったけど。
でも、昨日からの体調不良は、相変わらずで、せっかく涼しいのに冴えないなぁ…。

おかげ、と言ってはナンだが、一昨日買った田沼靖一著『ヒトはどうして死ぬのか 死の遺伝子の謎』が読めた。

今朝、公園を1時間ほど歩いて、少しシャンとなるかな、と思いましたが、さにあらず。1週ほど前の滅茶苦茶な猛暑でもないのに。



気合が足りないんですかね?


気合、ないですもんね。



シゴトがある時は、体調不良なんてホントなかったんだけど、シツギョーシャになって、やたらと不調なんですわ。


(読む人がいればだけど)皆さん、シゴトは軽はずみにやめてはいけません。

当たり前か。



行き倒れてしまうのか、超えられるのか?



今日からシツギョー6ヶ月目。



人生賭けでござんす。