先の書き込みをして、また寝込んでしまったのだが、
書名を書いてそれだけ、というのも、
ブログを書いてる意味がないので、自分のメモ的に以下少々。
最近この著者や、その言い分についての本やTVなんかが頻出していたので、
最初の方に書かれていたことは、なんとなく常識として知っていました。
要するに、細胞の死には、「ネクローシス」というものが旧来認めらてきたが、
70’s以降「アポトーシス」なる細胞の死が認められる、ということ。
それは、たんぱく質の設計図たるDNAに書き込まれた、
プログラムされた細胞の自死、という訳です。
例えば発達の過程の中で、
例えば新陳代謝という形で、
それは当たり前に、謂わば健康的に常に行われているらしい。
ガン細胞なんてのは、常に体の中に生成されてるんだけど、
アポトーシスが起こり、ガン細胞の異常増殖は抑制されている、なんて話が続きます。ふむふむ。
全体の維持のため、異常とか役立たずと診断された細胞は、自死するのね。
ワタシみたいなシツギョーシャは、アポトーシスが全体的に働くのかしらん?やたらと自殺します。
ヒトラーからすると、、、 なんて話は怖くて書けません、はぁ。
非再生系細胞(脳細胞とかみたいに、分裂再生しない細胞)のアポトーシスを、
田沼さんはアポビオーシスと呼んで区別しています。
再生しない細胞が死ぬんですから、謂わば寿命ですな。
で、細胞がアポトーシスして細胞が50~60回分裂再生したら、
それ以上分裂出来ないという「ヘイフリック限界」をおこす年月と、
このアポビオーシスが訪れる時期というのが、
人間の場合、まぁ100~120年というところらしいです。
それ以上は、まずどんなに資質が良く、努力しても、生きられない。
ここまでが前提。それで、自分史というか研究史の説明があって、
アポトーシス目線での製薬開発(ガンとかアルツとかゲノム創薬なんて)話とかあって、
最終章「「死の科学」が教えてくれること」になります。
ここ、オモシロいです、前半。それはどんなんか、っていうと、、、
細胞の自死=アポトーシスは、有性生殖が始まった時に生じた、と言ってます。
読む限りそうなんでしょう、きっと。
細かい説明は、興味が湧いたら自分で本買って読んでください。
単純に言うと、自分の生きている環境や、環境の変化に対応するために、生物が変化していくためには、
世代間で変化していく必要がある、ということ。
そりゃそーだ、そうでなければ、いつまでも同じまんま! 進化なし!!
で、その変化をスムーズにするのが、個体の死、という訳。
また、DNAの品質保全のため、
ジジイ(染色体が古く傷ついている)が若い♀を孕ませるのもよくない。
ジジイはさっさと死ぬべし、ってことで死がプログラムされている(悲)
石田さん、種付けしなきゃいいんですよぉ~~~
あ、でも、まだ産めるギリギリの女性(「オバサン」とは書かないでおこう)と、
若い♂の間でも同じことが言えるんでしょう。
種の保存のために、生殖行為は若い男女間で行ってください、みたいなことですか、はぁ。
で、人間の場合で例外的なのが、生殖期間が終わった後も寿命が残ることです。他の種に例がナイ。
そんなことは書かれてないけど、
経験とか知識、或いは社会的機能みたいなものを優先するDNAがあるのかもしれませんね。
ヒトという個性的な種においては、経験・知識・社会的機能が、種の保存のために役立つ、
というDNAの戦略で、生殖期間が終わってもまだヒトに寿命が残るとしたら、
ワタシみたいなオヤジにも生きていく価値があるということになります
(経験・知識・社会的機能があれば、だけど…)。
オモシロいですよね。
で、仮に人間に500年の寿命があったとしても、100年用にプログラムされた脳である限り、
アイデンティティを保てないのではないか?とも言ってます。
同じシャーシ・制御系で、エンジンだけハイパワーにしてもバランス取れないし、機能しない、
ってことですか? 違うか?? まぁいいや…
また、仮に500年の寿命があったとして、種の繁栄と進化の妨げになるとも書かれています。
非常に納得出来ますなぁ。
ですが、最後がイケマセン。
突如アーサー・C・クラーク的な宇宙論を短いページで語ります。
個が種に貢献し、種も地球内の生態系に貢献し、星は宇宙に貢献する。
それが「ダイナミックな大循環」で、「自然の摂理」だと言います。
「安直じゃない?」と思いながらも、ここまでは、まぁ良いとしましょう。
しかし田沼さんは、ここで「生死の意味になにがしかの答えを示せる」と思い上がってしまうのです。
で、「死によって有限をいかに生きるか問える」という認識に立ちます。
そんなのはお釈迦さまが3000年前にシッダルタ王子として悩み始めた最初の地平ですよぉ!
アポトーシスなんて知らなくたって、皆「人が死ぬ」ことぐらい知ってるんだから!!
それでいきなり結論にいくんですかぁ~!?
そんなだから末尾は「「自分とは何か」というアイデンティティを問えるのは、私たち一人ひとりかけがえのない、ほかの誰でもないただ一人の存在だからです。」
なんてシンプルなことになり、
「与えられた有限の人生をしっかり生き抜こうと思うことができます。」
なんて、間の抜けた結語を書いてしまうのでした。
これじゃ、オグ・マンディーノの啓蒙小説と変わるところがありません。
ユニークでもなければ、目からウロコでもないし、誰の人生の処方箋にもなりません。
せっかくここまでオモシロいこと積み上げてきたのに…
また、ドンヅマリに書かれている「死の遺伝子が「利他的に生きること」を本来の姿として求めている」なんて、
最早『宇宙戦艦ヤマト』、西崎バンザイ!になってしまいます(溜息)
とても優秀な薬学者(医学者?)なんでしょうし、非常に興味深く読ませていただいただけに、
そこで十全にシゴトをしていただいて、餅は餅屋ということで、
哲学脳にはアポトーシス、じゃない、アポビオーシスを少々働かせていただいた方が良かったかも、
と思ったエンディングでした。
…と、書いてみたら、メモ書くつもりが意外と長くなってしまった。
初めてなんで加減がわからなかったです。
毎度本読む度に、こんな読書感想文は書きませんから。はぁ。
オナカ痛くなってきたんで、また寝ます。
ではでは~。