最後まで「会話」を楽しむ | 看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

どうか大切な人の最期を穏やかに看取れますように
どうかあなたが最期まで、笑って楽しく生きられますように
最期まで笑って楽しく過ごせる生き方をサポートしたいと奮闘中。


「後は頼む……」
このような言葉を最後に残して息を引き取るのは、ドラマや小説の世界だけです。
本当に臨終が迫った人は、言葉を発することはできません。
臨終が近くなった人は、ほぼ眠ったままになります。

看取り時の会話は、傾聴→対話→語りかけ、と変化させていきます。

相手がまだ会話ができるときは、話せるだけ話してもらって、周りの人はできるだけ耳を傾けましょう。「傾聴」です。人に悩みを聞いてもらうだけでも気分がすっきりします。
家族とはいえ、どうしても言えなかったことがひとつやふたつはあるかもしれません。最後の最後に、そんなことを聞いてもいいかもしれません。
また、もし何かやり残したことを思い出せば、それが叶えられるまでもうひと頑張りしようと生きる気力が湧くかもしれません。逆に人生でやり残したことがなければ、満足して旅立てるかもしれません。

話すことがつらそうに見えても、みんなとの会話を楽しみにしていると思います。そんなときは周りの人が少し話しかけながら「対話」をしていきましょう。
悩みごとや心配ごと、話したいことがある人は、まだ心が落ち着いています。人生の最期という人生の根底の部分で悩んでいると、何を話していいかわからなくもなります。にこういう対話の時には沈黙の時間があります。
この沈黙の時には、相手が何か言うべきことを考えているのかもしれません。または、これまで言いづらかったことを話そうとしているのかもしれません。静かに待ってみましょう。

さらに衰弱が進むと、話すことが難しくなります。それでも、周りの人は話しかけましょう。「語りかけ」です。意識が朦朧としていても、耳だけは最後まで聞こえているそうです。ゆっくりとした口調で優しく語りかければ、相手にも伝わっていると思います。
思い出を語ることは、亡くなっていく方の想いや記憶をあなたの中に留め、残されるあなたの糧になります。大切な人の身体は滅びても、記憶のなかで大切な人の想いは生き続けます。
みんなでいろんなことを振り返りながら、人生の棚卸しをしていきましょう。