生きるってなんだろう・・・-看取りの準備 | 看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

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「家に帰りたい・・・」

やせ細った患者さんは末期のがんでした。
高齢で認知症もあり、家に帰りたいと一点張り。

家族も高齢で病気のため家には帰せない。
病院で看取ることになりました。

弱った体で動こうとするので、たびたび転びました。
家族は転ばせないようにと言ってきます。

「家にかえりたい」と動こうとするのですが、一人では動けません。
からなず動くときは一人スタッフがつくことになります。

そんな時間が増えてくると、安定剤が処方され患者さんは眠らされます。
食べられないので点滴をされます。
点滴を嫌がって何度も針を抜くと、今度はもっと強い睡眠薬で眠らされます。
もし、会話がまったくできないような意思疎通できない患者さんだったら、ミトンや抑制帯というもので縛られたりして自由を奪われます。

まさに生かさず殺さず・・・・・

そんな期間が数週間続きました。

患者さんが亡くなった時、家族は私たちにいいました。
「面倒かけました。こんなに生かして頂いてよかったです」

家族にとっての命は、時間でした・・・・・

ホスピスではない限り、よほど家族が意志をしっかり伝えていないと、概ね病院では「延命」に向けての治療が行われます。

人工呼吸器や心臓マッサージなどの延命処置は事前にするかしないかを家族に聞いていますが、
食べられなくなったら点滴・・・
具合が悪くなったら治療・・・

そもそも病院は病気を治療するところで、死ぬところではないからです。
「家族が病院に連れてきた」=「病気の治療をしてください」になるのです。
具合が悪くなって何もしないという選択は病院側からほとんど提示されません。
家族がつよい意志を持って伝えないと「何もしない」はありません。
本人は具合が悪くなると何も言えなくなりますから、大事なのは家族の意志になります。

「生きる」ってどういうことだろう?
と考えさせられます。

もしも私の親が何をしてももう助からないとわかったら
最期は延命などせず、「何もしない」という選択をとります。
時間はそう長くないのがわかっています。
だからこそ優しくなれるし、ずっと一緒にいられるから。
これが何か月何年と終わりが見えなかったら、介護する側がまいってしまうでしょう。
おわりが見えているからこそ、その時間を本当に大切にできることもあるのではないかと思うのです。

どんなに好きでも四六時中一緒にいたら疲れてしまいます。
でもおわりが見えていたら四六時中だって一緒にいたいって思えるんじゃないでしょうか。

もしかしたら、不快に感じる方もいたらもうしわけありません。

私は、いのちは時間ではなく、質の方が大事と考えているのです。