「笑う」「移動する」ためにー看取りの準備 | 看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

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どうか大切な人の最期を穏やかに看取れますように
どうかあなたが最期まで、笑って楽しく生きられますように
最期まで笑って楽しく過ごせる生き方をサポートしたいと奮闘中。

先月入院してきた、似たような患者さん

どちらも鼻から胃に通る管(胃管チューブ)を入れられ、それを引き抜かないように両手にミトンをされています。

ひとりは一所懸命ミトンを取ろうと歯でミトンをかじっています。
起きているときはそれこそ必死の形相で外そうとします。
意思疎通はできません。
でも、こちらが身体に手を触れ、話しかけると、じっとこちらを見ています。
その顔は救いを求めているようにも見えるし、
気にかけてくれて嬉しそうにも見えます。
でも、眉間のしわをなくし、穏やかな顔をしているんです。

もうひとりは、ぼーっと一日を過ごしています。
ただこちらの言っていることはわかっているみたいで、問いかけにうなづいて答えてくれます。
でも、無表情です。

人としての尊厳、「食べる」「笑う」「移動する」がないことがどれほどの苦痛だろうか・・・・・

医療者は死なせ方を学びません。
人の生かし方も学びません。
命の生かし方しか学びません。

私もわかりません。

いいとか悪いとわかりませんが、
日々悩みながら、みんな看護介護にあたっています。

私の勤めている病棟は、「笑う」「移動する」ために、毎日レクや簡単なリハビリをおこなっています。
だから、わりと寝かせきりにせず、ベッドのままかもしくは車いすに乗せてデイルームに移動していただき、人と接する時間を取るようにしています。

なかなか「笑う」ということもできない患者さんがたくさんいますが、人生最後に「いい人生だった」と思ってもらいたいなって思っています。