やり残したことー看取りの準備 | 看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

看取り看護師めぐ〜死ぬとは最期まで生きること

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死が近づくと、人はやり残したことに気づくことがあります。
これを後悔というのでしょうか。

今の病院は療養病棟なので、治療はすんで次の行き先を探す場でもあります。
しかし、行き先が決まらずに、病院で亡くなっていく人も多くいます。
医療依存度が高いと施設には入所できなかったり、家族が家では見れないというためです。
それこそ、何か月も何年も病院にいると家族に「捨てられた」と思う人も少なくありません。
「私が何をしたというの?」
「どうしてこんな戒めをうけなければならないの?」
そして、今までなんともなかったことの重要性に気づき、なんとか和解したいと願うのです。
和解は人間関係をめぐって繰り広げられるようですが、他者だけでなく、神や自分自身と和解したいと思っているように見えます。
そんな人たちは、はた目には苦しんで亡くなっていきます。
しかし、その苦しみは身体的な痛みではなく、精神的な、またはスピリチュアルな痛みです。
そんな人を癒すすべなく、看取りを迎えるとき私はとてもツラく感じます。

しかし、こうも考えられます。
死にゆく人は自分の人生は良いものだったと思いたがっています。
人生を振り返り良かったことを思い出せば、自分の人生の意義を見出すでしょう。
そして何かやり残したことがあれば、漠然と死を待つだけでなく、なんとか和解や解決しようと思うでしょう。
死ぬ前に何かしらの解決につながれば、その人の人生はより豊かなものになるのでは?と思うのは、もしかしたら本人よりも私の希望なのかもしれません・・・・・