今、巷で話題の深夜アニメを御存じでしょうか?
赤塚不二夫先生原作の往年の名作ギャグ漫画「おそ松くん」をオマージュして別の作者が描いた作品、それが『おそ松さん』です。
自己責任アニメと銘打ったこのアニメ。
実験作品の多かった原作者を彷彿とさせる、ギャグ作品という型にはまらないショートショートの数々。
深夜枠らしい下品ネタのラッシュに目を瞑れば、もうこれ日5でもいんじゃないかと思わせるパワーがあります。
有名声優が多数参戦している事を抜きにして語っても、これは紛れもなく佳作です。
傑作と言わないのはこれの出来は話によってまちまちだからです。

ところで、これが実は原作付きであることは全く知られていないですよね。せいぜいメディアミックスとして今現在連載されている漫画が知られるぐらいですかね?
実はこれの原作漫画が世に出たのはこのアニメが始まるよりもかなり昔に遡ります。
うろ覚えですのではっきりとは言えませんが、それは赤塚不二夫先生が亡くなってからまもなくの事です。
一冊の月刊漫画雑誌が創刊されました。
その名もズバリ!【月刊 赤塚不二夫マガジン】
この雑誌名を見て、あなたは何を思いますか?
僕は直感的に「週刊少年マガジン」を思い出しました。
なので、てっきり、「少年マガジン」の刊行元である“講談社”が出した雑誌とばかり思ってしまいました。
しかしよく見るとそこには“小学館”の文字が。
当時の僕は、このギャップに一瞬わけがわからなくなりました。
何故なら赤塚不二夫先生は亡くなる直前まで講談社のコミックボンボンでおそ松くん等の作品を掲載していたからです。
しかし、すぐに納得しました。何故なら、『おそ松くん』といえば小学館の『週刊少年サンデー』に連載されていた方が先ですからね。

ところでこの月刊誌ですが、赤塚不二夫生誕80周年企画という触れ込みでした。
当時これを見て、「はぁ?」と疑問に思いましたね。
何故なら当時の年代はこれには全く当てはまらず、赤塚不二夫生の生誕80周年の年はらまだまだ先の話だったからです。

表紙を捲ると、巻頭からフルカラーでいきなり白黒TV画面に六つ子ですよ。しかし、作者は赤塚先生ではありません。
白黒TVからいきなり六つ子が飛び出してきます。
そして、白黒だった六つ子が、この昭和なデザインじゃ現代にはマッチしてないから読者にウケないとか言い出します。
そう、この雑誌の目玉作品は『おそ松さん』だったのです。
アニメおそ松さんファンなら、この展開、判りますよね?
そう、6つ子がフルカラーで八頭身のイケメン化、学園ものの『うたプリ』パロが始まるわけです。
以後は、ご想像の通り、弱虫ペダルや進撃の巨人やらのパロがフルカラーで繰り広げられていきます。
途中、これでいいのかという問いに対し、先生はだいぶ前に死んだからいんだよという返しのギャグも入ります。
実際、このとき既に赤塚先生は死んでいたわけですからネタにしても悪ノリでしたね。
端に載ってる柱コメントでは担当編集者も大忙しです。赤塚先生ごめんなさい、各先生方ごめんなさいと謝りまくりです。

アニメでは円盤未収録となった幻の第一話はこうして大波乱のうちに終わりました。
そして、他の漫画が掲載されてる頁へと移ります。
この漫画に掲載されていた作品は「おそ松くん」「天才バカボン」「バカボンのパパ」「ひみつのアッコちゃん」「モーレツ!ア太郎」「レッツラゴン」など、赤塚不二夫先生の過去の代表作の傑作選ばかり。
特に「おそ松くん」に関しては、【おそ松くんとおそ松さんが同時に読めるのは赤塚不二夫マガジンだけ!】という如何にもコロコロコミックを意識したような柱コメントが載ってて密かにほくそ笑んだものです。
そして数ある赤塚漫画を挟みまたまたおそ松さんです。
二話目となります。
二話目の内容は、まんま、アニメ二話だったと思います。

頁数が短い作品で一挙二話ずつ掲載とか、たまにありますよね。
漫画の同じタイトルを連続掲載する場合、単純に頁数を倍増させ続けて一挙二話掲載するパターンと、一本分の割り当てを作品の都合上二本にわけ別々の頁に掲載するパターンとがあります。

前者は単純に頁数を普段の倍に増量し、一挙二本掲載したというだけの話。
主に連載初回などに多く用いられ、特にストーリー漫画に多いい手法なので知っておられる方も多いと思います。
あとアニメ化された看板作品の原作ストックを増量させる為に使われる手法でもありますよね。

一方、後者は、主に雑誌の頁の穴埋めに多い手法です。ギャグ漫画によく使われます。
こうすれば、種々様々な事情で雑誌に掲載する作品や頁数が足りなくなった緊急時に適当な頁に分割し、穴埋めとして掲載できますからね。

穴埋め分割作品として代表的なものを思い浮かべると、地獄少女、ドラえもん、あさりちゃん、伝染るんです、お坊っちゃまくん、フランチェスカ、浦安鉄筋家族などですかね?
これらは(全てではないですが)状況に応じて分割し、離れた頁に載せられたりしました。
昔の四コマ漫画などにはありがちな形態ですよね。

実は「おそ松さん」は前者でもあり、後者でもあります。
これはあくまで「おそ松さん」よりも赤塚先生の過去作品がメインであるという事を示していたのでしょう。
しかし、この雑誌で唯一といっていい新作が『おそ松さん』しかないという事実は、紛れもなくこの雑誌の看板作品だったのだという事を示しています。

ここからはあくまで僕の推測です。
恐らくこの雑誌は赤塚先生が亡くなる以前から、赤塚先生生誕80周年記念として企画されていたのではないでしょうか?
それで生誕80周年の年でもないのに、生誕80周年という文言が出てきた。
こう考えれば一応納得はできますよね。
まぁ、先生はだいぶ前に亡くなったからいいんだというネタは赤塚先生の死後に書かれた風に思えますが……。
もし当時赤塚先生が御息災であられたとしても、先生なら悦んで自虐ネタとして使われていたことでしょうね。