いち純情息子@くるり の ぼるつ(Volts)

いち純情息子@くるり の ぼるつ(Volts)

.                    くるり に関して綴ります。ニューアルバム『坩堝の電圧(るつぼのぼるつ)』9/19発売決定。

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前回は、くるり『everybody feels the same』の歌詞に隠されたメッセージとは?と題して、
くるりのニューシングル表題曲に込められた意味を読み解こうと試みた。

今回はシングルに収められた2番目の曲、『o.A.o』の歌詞を紐解いていこうと思う。
しかし“紐解く”と言っても、『o.A.o』の歌詞は表題曲に比べてストレートで、
「あんたにわざわざ説明してもらわんでも、ええわい!」てな声も聞こえてきそうである。

が、敢えて書こうと思います(笑)。蛇足は承知、堪忍したって下さい。m(_ _ )m

前回同様、とりあえず歌詞全文を読んでみる(以下のサイトで確認できます)。
作詞は全編、岸田繁によるもの。
o.A.o くるり 歌詞情報 - goo 音楽

一行目、
咲く花は夢のよう 願い続けたら叶うもの」とポジティブなトーンで詞はスタートする。
が、二行目はどうだろう?
捨てずにいた希望さえ ついえてしまった今ならば」と1行目とは真逆の内容が綴られているではないか。

「今ならば」に続く言葉は語られない。だが決して肯定的な言葉は接続されそうもない。

捨てずにいた希望さえ潰えてしまった今となれば、「願い続ければ夢は叶うもの
といったポジティブな言葉もまた、同様に無効になってしまったよ

というような意味で、私はこの2行を解する。

淡々とした曲調とも相まって、諦観にも似た哀感すら感じさせながら曲は続いてゆく。

三・四行目は、
どこかしこ 桃色の花びら 風に揺られ 空は曇りゆく
止めどなく 吹く風に さらされて
」だ。

桃色の花びらが、そこかしこで風に揺られ』ている。季節は春なのだろう。
しかし「空は曇りゆ」き、「止めどなく吹く風」に花びらは「さらされ」続ける。』
(ここでの『』も、決して爽やかな風を連想させるものではない)

五行目、
散るころも この街は」。
春に咲いた花が散ってしまう頃、この街は』、どうなるのか?
恐らく、『どう(に)もならない、今と変わらない』のだろう。

ここまで歌詞を読んできて思うのは、「暗い。暗すぎる!」ということ。
ここまで暗い歌詞は「GUILTY」以来ではないか?と私は思った。
GUILTY くるり 歌詞情報 - goo 音楽

どうした、岸田?!なぜそんなに暗くなっているのだ?!いったい何に落ち込んでいるのだ?!
という疑問は、次の行を読んで氷解した。

六行目、
緑さえ まぶしくて 轟く車の土煙」である。
ああ、やはり震災か・・・、と合点がいった。
」「まぶし」い初夏となっても、「土煙」を「」かせてゆく「」(トラック)たち。
震災から一年以上経っても、復旧すらままならない被災地の光景が眼に浮かぶ。

岸田が震災に胸を痛め続け、くるりがチャリティCD「石巻復興節」まで出したのは、
くるりファンなら誰もが知るところだ。
彼は震災以来、頻繁に被災地を訪れており、その現状は氏のよく知るところである。

震災から1年が経ち、春が来ても、遅々として変わらない被災地の現状に、
岸田は「捨てずにいた希望さえ ついえてしまった」のかもしれない。
咲いた「花びら」も、今は放射性元素を含んだ風に「さらされ」続けるばかりだ。

花びらが「散るころ」となり、季節が変わったとしても、「この街」(被災地)は何も変わらない。

七行目、
晴れたなら 思いの丈は 背丈くらいになって走り出す
どんなに晴れたとしても、決して背丈以上にはならない、思いの丈。
過度な願望や期待はもう持たない』ということなのか。

八、九行目、
思い出は まるで夏の日のよう 飛び出せば そこは群青の空
吹く風は 木々を色付かせ しんしんと冬を迎えよう


岸田が震災以前から東北を愛し、度々旅行していたことはインタビュー等でしばしば語られる。
(東北の)思い出は夏の日のように鮮やかだ。今でも一見、空の色は以前と変わらない。
木々も前と同様に色づいてゆく。だが本質は変わってしまった。今はただ黙って、長い冬を迎えるばかり――

――そんな風に岸田は思っているのかも知れない。

十行目、
o.A.o......o.A.o......o.A.o......

これはわからない。「オー・エー・オー」との歌唱も「o.A.o」の記号の意味も、現在解読中です(御免)。
ただ、「o.A.o」(オー・エー・オー)というコーラスがバックグラウンドで響き続けるこの十行目以降、
歌詞は一転、未来への希望を映したものへと変わる。
つまり、繰り返される「o.A.o」(オー・エー・オー)のフレーズは、祈りのようなものなのかもしれない。

十一・二行目、
咲く花は夢のよう 出会った頃とおんなじで
歩き出した君のよう 明日もそうでありますように


ここで一行目の「咲く花は夢のよう」がリプライズされる。だがここで形容されるのは
出会った頃とおんなじ」の、再び「歩き出した君」だ。
震災・原発事故でどれだけ環境が変わっても、人の意思までは変えられないはず。
明日がどうなろうと、それだけは不変でありますように
』。

―――『o.A.o』という曲は、人間存在や世界をどこまでも肯定した祈りの歌ではないだろうか。


最後の十二、十三行目。
ありがとう こんにちは おやすみ さようなら また明日
咲く花は 夢のよう ここにいてくれてありがとう


ここでまず描かれるのは、震災前と変わらず挨拶を交わすことのできる、かけがえのない人々との絆だ。
そして最後に岸田は、一方で変わってしまった(彼の中では“変わり果てた”と言ってもいいであろう)現在の日常にすら寄り添い、感謝を述べる。
ここにいてくれてありがとう」、と。







チオビタドリンク CM プール篇 [30秒Ver.]  (♪くるり「o.A.o」)
今月1日、『みんなが同じことを感じている』という意味をタイトルに冠した、くるりのニューシングルが発売された。

では、「みんなが感じている同じこと」とは一体何なのだろう?
ここでは、それを読み解いていこうと思う。

何はともあれ、歌詞を読まなくては始まらないので、とりあえず歌詞を読んでみよう。
以下のサイトで、歌詞全文が確認できる。
everybody feels the same くるり 歌詞情報 - goo 音楽

歌詞も中盤に差しかかった12行目、
SPEEDIなタイムマシーンは新潟へ向かう」、で
ようやくキーワードとなりそうな言葉が登場する。

SPEEDI』。
表記は“SPEEDY”でも“スピーディー”でもない。『SPEEDI』である。

SPEEDI』とは、3.11以降多くの国民が知るところとなった、
緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム」のことだ。
《参照:SPEEDI(Wikipedia/リダイレクトページ)

ここで、この曲が3.11にまつわる事象について歌った曲である、と言うことが朧気ながら見えてくる。

その一行前の『KAKUEI』とは勿論、田中角栄新潟出身)のこと。
彼は正力松太郎・中曽根康弘らと共に原発推進を行った中心人物の一人だ。

くるり(岸田繁)は、恐らく今年の冬にこの曲の歌詞を書いたのだろう。
彼が『2012年の冬』に『タイムマシーン』に乗って向かうのは、丁度1年前のあの日、2011年3月11日だ。
あの日、『悲しみ』(=地震・原発事故)は文字通り、降りしきる『吹雪の向こうから』やってきた。

さらに、16行目にある『未来まで 熔けない雪の白さ』とは、
半減期が何万年とも言われる放射能の暗喩だ。

続いて、曲中でも圧巻と言える、次々と列記されてゆく29もの都市名
だがこれも、ただ無意味に都市名が羅列されている訳ではない。この29都市には一つの共通点があった。
それは、この29都市が属する全ての国が、現在原発を保有、もしくは保有を予定していることだ。
《参考:世界の原子力発電所の一覧/Wikipediaより

一見、無意味とも思える記号の羅列が、このような意味を持っていたことを知るに至った時、
私はようやく、意味を推し量りかねていたこの曲のタイトルに込められたメッセージを理解できた気がした。

everybody feels the same.

みんな、同じことを感じている。

特別に意識している人もいない人も皆、潜在意識下及び、根源的な動物としての本能下では、本当にヤバいもののヤバさ、怖さを感じているはず。

「それに気づけよ」と、岸田繁は私達にメッセージを投げかけている。

本来持ち得ていたはずの自分の感覚(=feel)を回帰させ、それをもう一度信じ直すこと。
それこそが、この曲で岸田繁が最も訴えたいことではなかったか。

明かりの消えたあの寒い『』、私達は『火をともし』、『手をとりあ』った。
いまもう一度、手をとり、火をともせば、『風が動く』だろう。
愚直に『もがけ』、『進め』と、いま、くるりは歌う。