読書に関する著者の考えを知ることができる一冊でした。
「書くのに技術が要る様に、読むのにも技術が要る」と同時に「読む工夫は、誰に見せるという様なものではないから、言わば自問自答して自ら楽しむ工夫なのであり、そういう工夫に何も特別な才能が要るわけではない」と述べられています。
「読書の楽しみの源泉にはいつも"文は人なり"という言葉がある」。そうすると「その作家の傑作とか失敗作とか言うような区別も、別段大した意味を持たなくなる」と。
確かに、作品は著者という人の一部であり、全てではありません。読書が、著者という人を伺い知る行為だと考えると納得ができます。
また、「書物が書物には見えず、それを書いた人間に見えてくるのには、相当な時間と努力とを、必要とする。」そして「他人を直に知る事こそ、実は、ほんとうに自分を知る事に他ならぬからである。」
著者が「親身になって話しかけている時、親身になって聞く人が少ない。これがあらゆる名助言の常に出会う悲劇なのだ。」
その通りかもしれません。私も数々の名助言を聞いているにもかかわらず、聞き流しているに過ぎないのが現状です。深く考え、実生活に取り入れない限り、助言となり得ないことは明白です。
読むことに関する助言
1、つねに第一流作品のみを読め
2、一流作品は例外なく難解なものと知れ
3、一流作品の影響を恐れるな
4、若し或る名作家を択んだら彼の全集を読め
5、小説を小説だと思って読むな
「小説と言うものは、何といっても世間の観察、人間の観察が土台となっているもので、世間を知らない小説家などあるものではない。」「いい小説は、世間を知り、人間を知るにつれて、次第にその奥の方の面白みを明かすような性質を必ず持っている。」
「本を読む人は、自分の自由な読書の時間を持っている。詰まらぬ処をとばして読もうが、興味ある処に立ち止まり繰返し読んで考え込もうが、彼の自由です。めいめいが彼自身の読書に関する自由を持っているのであって、読者は聴衆のような集団心理を経験する事は無い。かようなものが成熟した読書人の楽しみです」。
私は、まだまだ1人の全集を読むに至りません。自分の興味の赴くままに、社交的な付き合いをしている、今日この頃です。それが楽しいから、今はそれでよいと思っています。