大分前にアカウントだけ取って放置していたツイッター、何故か昨年末くらいから、動き出してしまった。

理由は自分でも分からない。まっ、見切り発車だ。自分はいつも計画性無く、そんな感じです。

そうしたら、自然とフォロワーさんも増えていくもの、といってもそんなに真剣でもないので、多くは求めてはなく、そこそこで…、という感じだった。

そんな中、やってるうちに、ツイッターの中では、生きるのが苦しい〜、助けて〜と、自ら訴える悩みを持つ人やそれに共感したいという人たちが実に多いことに気付いた。

普段、道行くいろんな人を見ていても、その人がどんな人なのか、どんな楽しみ、苦しみを持った人なのかなんて、勿論、直接聞きもすることはないので分からない。また、その人たちも、当然、見ず知らずの他人にそんな自分を知られたくもないだろう。

だから、これは、喜怒哀楽をあまり隠さず呟けるツイッターならこその現象であろう。

ネットは、顔が見えないことをいいことに、いろんな棘があることを平気でコメントする悪癖がある反面、顔が見えないからこそ、こうして、普段なかなか言えない心の内を吐き出せるという利点もある。

私のような世代は、若い頃からネットがあるわけではなかったので、それほど詳しいとは言えないのだが、なんとなく、見よう見真似でやってみていた。

はじめは、何について呟こうか、全く意図はなかったが、こうも、苦しい、辛い、という声を聞けば、私の眠ってた意識を呼び起こしてしまった。

今こそ、自分がこれまでの人生で探し求め、最終的に見付けた答え、“人とは何で、最終的には何を目指して生きていくべきなのか”をここで、披露するべきだと実感させたのだ。

やや大げさに思えるけど、私も多くの人と同じように、これまで決して全うな人生を歩んできたわけではなく、その過程で、“人とは一体何者なのか?なぜ生きなければならないのだろう?”とずっと悩み苦しみ、その答えを探し続けてきた。

私の人生は、ほぼそこが目的であった言っても過言ではない、それくらい人一倍そのことを探し求めてきた。

そして、ついに、見付けた。その答えはあった。

これは、私だけが知り得た事実ではなく、過去から現在に至るまで、多くの人が知り得たものではあるが、実際にはそれほど知れ渡ってはいないものだ。おそらく、いつの時代でも、全人口のわずか10%にも満たないであろうと思われる。

なぜこうもそれが知れ渡らないか、その答えは様々であろう。

それはここでは分析しないが、とにかく、“そもそも人とは何?そして、どこを目指すべきなのか?”の答えを、もし今困っていて、苦しんでいる人たちの参考になれば、そして、将来、同じように迷う人たちがいるとするならば、彼らの参考になれるように、世間に公表しなければならないと、知り得た者としての義務感を感じ、ツイッター上にすべて書きあげた。

勿論、私は覚者(真理を悟った者)ではないので、全てが正しいかといえばそうではないと思うが、しかし、概ね80〜90%は合っているのではないかと考えている。

だからこそ、これを残しておかねばならない。

ツイッターは、運が良ければ、人から人へ、多く拡散されることが可能だ。

どこでどうやって、このことを披露しようか、考えていた私には、そこはもってこいの場所だった。

しかし、これ以上、私がそこに何か他の呟きを書き込むと、折角の、その真理が、藪に中に消えてしまう恐れがある。

それは避けなければならない。

ただの一人でも、生きることに迷うならば、これを読んでいただきたい、そう思い、私は、それを書き込んでから、すべてのツイート活動を停止した。

少しの間でも何人かの友達はできたが、彼らと交流ができなくなるのは寂しいけど、誰かのためになるのなら・・・と、お別れすることにした。

なかなか冷静にはなれなかったが、そろそろ心も落ち着いてきた。

元々、友達を増やそうとか、何かの目的があって始めたことではない。

人間明日の日がどうなるものか、誰にも分からない・・・。このままもし、私が死んだら、折角知り得た真実を披露できなくなる。

だから多分、今この時期、披露しなさい!・・・、そういう天命だったのかもしれない。

これでよかったのだと思う。

一つ、私の人生での使命は終えたような気がする。

少しの期間であったが、多くの勉強をさせていただき、素晴らしい人たちとご縁ができた。

とても感謝している。

 

まだ次の目標はあるので、これからはそれに邁進していきたいと思う。

 

 

以上、私がツイッターを辞めた理由でした。

お読み頂き、ありがとうございました。

 

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