2009年のNHK大河ドラマ『天地人』の主人公・直江兼続ゆかりの場所を訪れた。まずは新潟県南魚沼市&長岡市編。


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直江兼続は、上杉謙信の養子・上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。新潟県南魚沼市は上杉景勝、直江兼続の生誕地で、南魚沼市役所前には2人のレリーフがあり、ありし日の主従の姿をしのばせて立っています。


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直江兼続は、魚沼の政治経済の中心であった坂戸城下で生まれました。坂戸城の当時の城主は長尾政景で、謙信の姉、仙桃院と政景との間に生まれたのが上杉景勝でした。景勝と兼続は深い信頼関係を築き、ともに激動の時代を生きていきますが、2人はここで相撲を取ったり、走り周ったりしたのでしょうか?山頂には実城、山麓には平時の住居跡、他には曲輪、石垣、土塁、堀切などの遺構が残っており、国の指定史跡となっています。“景勝、兼続生誕地”という石碑もありました。景勝は父の急死によって城主になります。


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雲洞庵(うんとうあん)は、上杉景勝、直江兼続が少年期に学んでいた寺です。

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新潟県の指定文化財で、樹齢300年の杉木立の中の赤門をくぐると本堂正面まで石畳が続きます。その石の裏に法華経を書いて埋めたそうで、踏みしめてお参りすると、罪業消滅、万福多幸の利益に預かるという言い伝えがあります。このため、有名な『雲洞庵の土踏んだか』という言葉が生まれたそうです。


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龍澤寺(りゅうたくじ)は、謙信の姉の仙桃院が、我が子景勝の武運長久を祈願した寺と言われています。


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樺沢城主館跡。上杉景勝は長尾政景と仙桃院の嫡子としてここに誕生したとされています。城主館跡は、一段高台に築かれていて、景勝の母であった仙桃院のお花畑もありました。


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南魚沼市を案内してくださったのは、南魚沼市観光協会・会長の南雲勇さん。NHK大河ドラマに直江兼続をと、10数年働きかけてきたそうで、『ようやく夢が叶った』と熱っぽく語って頂きました。演説調の語りはとてもユニークでした。


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南魚沼市を後にして、新潟県長岡市に向かいました。与板町歴史民俗資料館前に着くと、直江兼続の銅像がありました。直江山城守兼続の業績をたたえて、平成元年に建立されたそうです。


坂戸城下で生まれ、その利発さを認められ、景勝の小姓に。その後、景勝が謙信の養子となったため、景勝に従って春日山城に入りました。


謙信の死後に起きた景勝と影虎の争い(御館の乱)で、景勝擁立の中心的役割を果たし、重臣直江家の名跡を継ぎ、与板城主となりました。


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兼続が築いた与板城跡です。この城を築いた時代、兼続は与板衆の強固な結束力を得て、執政として越後の行政、財務、軍事、外交のすべてにわたり手腕を発揮していきました。八坂神社の登り口から城山と呼ばれた与板城跡へと足を踏み入れましたが、整備されている遊歩道はかなり急な坂道でした。


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兼続も幾度となくこの道をたどった事でしょう。本丸へと向かう道の中ほどに、おせん清水がありました。これは兼続の妻お船の方の名がついた山城の水源です。 今でも水が湧き出ており、山城の貴重な水資源であったと思われますが、雪崩が発生したのか立ち入り禁止。これは残念でした。



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標高104メートルの城山頂上の本丸跡には、城山稲荷神社が祀られ、城の一本杉や兼続の碑、海音寺潮五郎の碑などが建っています。兼続の碑には、直筆の書状から一文が刻まれており、「所望事信一字(望むところのこと信の一字) 慶長二年二月六日 直江山城守兼続 花押」とありました。


城跡のシンボル的な存在は、城の一本杉。この木は、兼続が会津移封にあたって植樹した5本の杉のうちの1本だと伝えられています。樹齢は約400年、根元周6.6メートル、目通り周囲3.5メートルの巨木です。直江兼続は、もうすでにこの世を去っていますが、直江兼続が植えたとされるこの木は、傷んで治療を受けた跡が目立ちましたが、今でも現役です。


直江兼続は上杉景勝に仕え、執政として領民のための政治を行ってきました。その功績は非常に大きいですが、正直、これまであまり表舞台に出る事はありませんでした。『それで別にいいよ~』と天国で言っているかもしれませんが、来年はあなたが主役(主人公)です。ドラマ化を機にたくさんの方に直江兼続を知って欲しいと思った次第です。次回は、山形県米沢市編をお送りします。