欅坂46
「二人セゾン」(2016)

 

 


君はセゾン 僕の前に現れて

日常を輝かせる

 

歌詞はコチラ

 

そもそも「セゾン」とは何なのか?
セゾン(saison)とはフランス語で

季節・シーズン(season)という意味。
二人セゾンとは、「二人の季節」

ぐらいの意味なのだろう。
シーズンではなく、

わざわざセゾンとしたことで、

受け手に「?」と思わせ、関心を引く。

私も、まんまと

秋元先生の術中に嵌った気がする。

 

【道端咲いてる雑草にも
名前があるなんて忘れてた】

【雑草】=自分自身と

取ることもできるが、
このAメロのフレーズは、

足元で咲いている花にさえ気づかない程、
自分の世界・殻に閉じこもっている

主人公を描写しているように思う。

周りの世界に興味がない振りをして、
もしくは、自分を傷つける世界から

自らを守るために
【目を伏せて】【イアホン】をして

【聴こえない振りしてた】僕。
二番目のAメロでもそんな自分を
【自分の半径1m 見えないバリア張った】

と表現している。

 

そんな臆病とも、子どもっぽいとも、

「こじらせている」ともいえる僕の前に
突然現れ、イアホンを外し

【僕を連れ出してくれた】君。
何とも大胆なヒロインだが、

君本人のなかでは

「拒絶されたらどうしよう」とか
「嫌われたらどうしよう」とか

不安や葛藤があったはずだ。
今、話題のドラマ

「逃げ恥」の森山みくりのように。

 

 

一番目のBメロは何とも名文である。
【太陽が戻って来るまでに 

大切な人ときっと出会える
見過ごしちゃもったいない 

愛を拒否しないで】
【太陽が戻って来るまでに】とは

どういう意味だろうか。
「太陽が戻ってくるまで」=

「また日が昇るまで」という意味だと
「一日が終わってしまうまで」に、

という意味になるのではないだろうか。
もしくは、
地球から見た太陽の昇る高さは

季節ごとに違うので、

そのことを踏まえると
「太陽がまた同じ高さに戻ってくるまで」=

「また同じ季節が廻って来るまで」
という意味にも取れる。

 

まぁ、どちらの意味

であっても(なくても)
「君にもきっといつか大切な人は現れるよ。

その人を拒み続けないでほしい。」という
優しくて温かいメッセージだと思う。

 

 

【君はセゾン 

僕の前に現れて 日常を輝かせる
昨日と違った景色よ

生きるとは変わること】
【君はセゾン】とは

どういう意味だろうか。
きっともう、この二人は

別れてしまっているので、
「君は季節のように【儚く】【切な】く

足早に去っていく存在」

という意味だろうか。
今はもういなくても、閉じていた

【心の窓】に【昨日と違った景色】を

見せてくれた君。
自分の中の世界にも外の世界にも、

変化のない低地安定した【日常】を

良しとしていた僕に、
【生きるとは変わること】と

教えてくれた人。
【初めて感じたときめき】

ともあることから、

初恋の人でもあったようだ。

 

 

【春夏秋冬 生まれ変われると

別れ際 君に教えられた】
春夏秋冬、同じ季節が再び廻って来ても、

昨日の自分と今日の自分が少し違うように、
きっと去年とは違う新しい「季節」が来る。
同じ季節の繰り返しに見えても、

実は少しづつ成長している。
少なくとも、君に「変われること」を

教えてもらった僕にとっては
これからはきっとそうなのだろう。

 

 

最後の一文は
【僕もセゾン】
となっている。
今までは、

【君はセゾン】だったものが、

【僕もセゾン】に。
「今の僕」は自分の世界に閉じこもり、

時間を停めている「君以前の僕」

ではない。
季節のように変わる君が、勇気を出して

僕に「変化」を教えてくれたから、
「自分もセゾンだ」と胸を張って

言えるようになったことを

表しているのだろう。

「僕」も「君」と同じく、「セゾン」への

仲間入りを果たしたのだ。
もしくは、
春夏秋冬が人間の一生に例えられるように
「自分も現れては

過ぎ去っていく、儚い存在」

だということを言いたいのかもしれない。