
同じ内容ではあるが...
お砂塵が違う?
昨日のインタビュー記事も
兵役のことに触れてたっけ?
【インタビュー】東方神起が東京Dで3年ぶりライブツアー最終日 音楽史上、記録にも記憶にも残る伝説のステージへ思いを明かした
コロナ禍の苦境を乗り越え、東方神起が日本の舞台に帰ってきた。
2月にスタートした約3年ぶりのツアー「CLASSYC」も残すは東京ドームのみ。取材中、2人はどんな質問にも流ちょうな日本語で回答。ライブでのMCばりに〝絶口調〟で、ユンホは「すごくうれしいですね。実際に皆さんに会ってみて歌ってみて、ああ~、やっぱりこれがライブだなと」と笑顔。
チャンミンも「その前に徴兵の時間が2年くらいあって長く離れていた時期が2回もあった。けれど、変わらずでかい会場でライブができるように、ファンの皆さんがずっと応援してくれることにただ感謝の気持ちで胸がいっぱい」と喜んだ。
待っていてくれたファンのためにツアーの追加公演として東京と大阪でドーム公演を決定。巨大空間で観客と一体になるのは最高というユンホは「何万人が一つになって一緒に叫んだりするのは難しいこと。それがすごくプライドになっている。ファンの皆さんと同時にいいライブを作れるのが東方神起の魅力。ドームは広いから、お~、すごく幸せだなって満足している」。チャンミンも「久しぶりに皆さんの笑顔や一緒に大きな声で歌っている姿が見られたり、それ自体がうれしくてたまらないほど感動的だった」と振り返った。
ユンホは4日に韓国での仕事中に足を負傷したと発表。25日も含めドーム4公演は演出の一部を変更し、不屈の精神で乗り切る覚悟で、「(右)足首をちょっとけがしてしまって。思ったより大けがで、リハビリをすごく頑張って。完全に治るのは時間がかかる。でも、皆さんの熱い声援が力になっているから、ドームまでは問題ないです」と言い切った。
また、2人が強い絆で結ばれている秘話も披露。ユンホが「お互いがペースメーカー」と表現するように、大阪公演ではチャンミンが負傷した相方の分までジャンプするなど120%の力でカバーした。
ユンホは「情熱を感じました。隣のチャンミンが何倍も一生懸命頑張ってくれて。すごく頼りになっている!」と感激。チャンミンは「ファンにも言われました。『普段よりも頑張ってパフォーマンスしてますね』って。今までちょっと足りなかったのかな」と笑わせつつ、「無意識にフォローしていたのかも。それが信頼感ですね」と笑顔。ユンホもうなずき、「2人の中でいろんなことがあった。信頼関係を重ねてすごく今がいいな。最近は趣味でゴルフを一緒にやろうって。そのような変化があるから東方神起はもっとよくなるのでは!?」とおどけた。
日本語は年々上達しており、「大好きなアニメを見ながら、この単語を使ってみようとか。日本のドラマのせりふを自分らしく変えて表現したり。『何々でござる』みたいな時代系をわざと入れて、空気を読みながら寒くなったら次のあいさつをする。四文字熟語もそう。『ONE PIECE』を見たら、たまに出てくるから」とユンホ。チャンミンも「日本のニュースはネットでキャッチアップしています」と前向きだ。
12月にデビュー20周年を迎える。常に第一線を走り続けてきたが、ユンホは「やっぱり日本語が重要。言葉で自分が言いたいメッセージを伝えた方が分かりやすいから」と力説。チャンミンが「初心を守っていくのは難しい。ファンのことを大切にしていこうという気持ちは変わっていないけれど、疲れたりして…。でも、ファンの皆さんのために一生懸命頑張っていきたい」と語ると、ユンホは「東方神起は初志貫徹で頑張ります!」と四文字熟語で切り込み笑わせた。
次なる目標は、2018年に前人未到の3日連続&22万人動員の金字塔を打ち立てた横浜・日産スタジアムで3度目のステージを行うこと。チャンミンは「こっそり一人で思ったことがあって…」とにっこり。ユンホも同調し、「日本のアーティストの先輩たちを見てすごくいいと思うのが20年、30年と続ける。サザンオールスターズ先輩とか今も活躍している先輩たちはすごい。40代、50代になって、アーティストとして長く続けるのが一番かっこいい」と言い切る。
東方神起も〝唯一無二〟の伝説を作り続ける。
★28日発売新シングル 大人の夏ソング
28日に新シングル「Lime & Lemon」を発売する。タイトル曲はセクシーさと爽やかさが共存した大人の夏ソングで、17、18日に行った大阪の京セラドーム公演で同曲を披露。チャンミンは「今回セットリストの中でわりと夏ソングが多い。夏の暑さをぶっとばせるスッキリさせるライブに。気合入っています」と意欲。ユンホも「皆さん期待してください!」とアピールした。
■東方神起(とうほうしんき) 2003年12月に韓国でデビューし、05年4月に日本デビュー。J-POPでも地道に活動し、13年に自身初の5大ドームツアー(19年まで計4度)、海外アーティスト初の横浜・日産スタジアム公演を開催。15、16年の兵役による活動休止を経て17年に再始動。18年には2度目の日産スタジアム公演を行い、3日連続・22万人動員の金字塔を打ち立てた。グループ名は「東方の神が起きる」という意味。
