大阪城重要文化財 千貫櫓(せんがんやぐら)「あの櫓を落とした者には千貫文与える・・・」
大阪城重要文化財の櫓シリーズ、今回で完結!?
・・・ということで、渡櫓~多聞櫓と中を歩いて、最後には千貫櫓の中へと・・・
千貫櫓(せんがんやぐら)の千貫の名称は、その昔、この地にあった石山本願寺を織田信長が攻めたときに、この付近にあった櫓が難攻不落であったために「あの櫓を落とした者には千貫文の銭を与えても惜しくない」と話したことにあるという。
豊臣時代にもこのあたりにあった隅櫓も同じ名称で呼ばれていたという。
千貫文っていくらねん?
・・・ってよくわかりませんが、いろいろな計算方法がるようでして、一概にこんだけという答えにはならんようですが、参考に・・・
1貫文は1000文
1貫文は2石(こく)
1石は大人一人が一年間に消費する米の量に値する
時代によって、相場は変動していますが、江戸時代の一文が約60円として計算すると・・・
1貫文(1000文)×60円=6万円
6万円(1貫文分)×1000(貫文)=6千万円
千貫文は約6,000万円くらいになるんでしょうか!?
当時でも、今でもかなりいい恩賞だったのではないでしょうか?
場所、位置的にはこんな感じです。
多聞櫓の下をブワァ~!っとくぐると・・・
グワァ~!っと大きな千貫櫓見えてきます。
撮影は日を分けて行っていますが、中に入れた日はこうやってスルっと!多聞櫓から千貫櫓へと移動させてもらいました。
上にもいける階段がありましたが、残念ながら見学は出来ずです・・・。
それでもこの中を見れただけでもいいかもしれません。
それでは千貫櫓を空からみてみましょう!
より大きな地図で 無題 を表示
・・・ということで、渡櫓~多聞櫓と中を歩いて、最後には千貫櫓の中へと・・・
千貫櫓(せんがんやぐら)の千貫の名称は、その昔、この地にあった石山本願寺を織田信長が攻めたときに、この付近にあった櫓が難攻不落であったために「あの櫓を落とした者には千貫文の銭を与えても惜しくない」と話したことにあるという。
豊臣時代にもこのあたりにあった隅櫓も同じ名称で呼ばれていたという。
千貫文っていくらねん?
・・・ってよくわかりませんが、いろいろな計算方法がるようでして、一概にこんだけという答えにはならんようですが、参考に・・・
1貫文は1000文
1貫文は2石(こく)
1石は大人一人が一年間に消費する米の量に値する
時代によって、相場は変動していますが、江戸時代の一文が約60円として計算すると・・・
1貫文(1000文)×60円=6万円
6万円(1貫文分)×1000(貫文)=6千万円
千貫文は約6,000万円くらいになるんでしょうか!?
当時でも、今でもかなりいい恩賞だったのではないでしょうか?
場所、位置的にはこんな感じです。
多聞櫓の下をブワァ~!っとくぐると・・・
グワァ~!っと大きな千貫櫓見えてきます。
撮影は日を分けて行っていますが、中に入れた日はこうやってスルっと!多聞櫓から千貫櫓へと移動させてもらいました。
上にもいける階段がありましたが、残念ながら見学は出来ずです・・・。
それでもこの中を見れただけでもいいかもしれません。
それでは千貫櫓を空からみてみましょう!
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