大阪城 重要文化財 『金蔵』(きんぞう。もしくわ、かなぐらと読む)
大阪城 重要文化財 『金蔵』(きんぞう。もしくわ、かなぐらと読む)
★大阪市イベント・観光 大阪城夢祭2009 重要文化財『千貫櫓・多聞櫓・金蔵』を特別公開します
平成21年10月10日(土)から10月12日(月・祝)までの期間の秋のイベント、大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)・金蔵(きんぞう)」を特別公開!
ということで、今回はこのイベントにうまく行くことが出来て、レポートすることが出来たんですわ!
昔から大阪に住んどりまして、このようなイベントにいったのは、大阪築城400年まつり以来です!
・・・え~っと400年祭りって、めっちゃ昔の話なんですが・・・。
なんか、大阪城には櫓は結構ぎょうさんあるんですが、実際に中に入ったのは今回が初めて!
外から見る櫓となかから見る櫓は全然違う世界でしたわ!
実際の明かりも松明だったということで、電気松明ですが、そちらで照明を再現しとりました。
あんまり難しいことはわかりませんので写真で紹介・・・。
なにせ、専門知識がない私がレポートしとるさかいにご勘弁を・・・。
・・・ということで、展示パネルもかなりありまして・・・
早速金蔵からスタート!
昔は、軍事施設になっとった大阪城・・・。
めっちゃボロボロやん!?
改修で場所は少しずらしたらしいですわ。
・・・ということで、今はメッチャべっぴんさんになった金蔵。
航空地図で真上から見ていますと・・・
大きな地図で見る
こんな感じ!
こちら説明版・・・
金蔵は「かなぐら」とも呼び、普通は御金蔵と言われている。徳川時代、幕府の金貨、銀貨を保管した土蔵で、大金庫の役割を果たした。寛永(かんえい)3年(1626年)に創建されたが、当初二階建てであった物が、天保(てんぽう)14年(1843年)に現在の一階建てに改造された。内部は板張りで大小2室からなっている。火災と盗難防止に特に工夫がこらされ、床板の下には熱い石敷き、入り口には二重の土戸と鉄格子戸の三重構造、小さな窓は、土戸と鉄格子、床下の換気窓も鉄の二重戸となっている
現存する江戸幕府の金蔵はこちら大阪のこの金蔵のみやそうです。
ちゃんと中を撮影したらよかったんですが、ちょっと興奮しすぎて、天井部分と・・・
千両箱が置かれとった場所のみを撮影・・・。
ここに千両箱が積まれに積まれて、今のお金に換算しますと、常に500億~800億ど置いてあったそうですわ!
頑丈なつくりのために、一度も蔵破り、泥棒の被害にあうことはなかったそうなんですが・・・頑丈なだけに、やはりいろんな意味で内側からはもろく・・・関係者によって4000両ほど盗まれた記録が残っとるそうです。
千両箱はボランティアの方の説明だと・・・うろ覚えですんません・・・たしか22㎏ほどの重さ・・・。
500億~800億あっても、この蔵はそれだけの重さに耐えれるつくりになっとったらしいですわ。
ちなみにこの小判たちは金蔵の入り口で入場者に体感してもらおうと用意された小道具でっさかいに勘違いなさらずに・・・。
ということで、江戸時代のお金の勘定のしかたなどなど・・・。
ある種、こんなところに徳川埋蔵金があったっちゅ~話ですわ・・・。
またの機会に「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)」のレポートをUPする予定です。
★大阪市イベント・観光 大阪城夢祭2009 重要文化財『千貫櫓・多聞櫓・金蔵』を特別公開します
平成21年10月10日(土)から10月12日(月・祝)までの期間の秋のイベント、大阪城公園内の重要文化財「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)・金蔵(きんぞう)」を特別公開!
ということで、今回はこのイベントにうまく行くことが出来て、レポートすることが出来たんですわ!
昔から大阪に住んどりまして、このようなイベントにいったのは、大阪築城400年まつり以来です!
・・・え~っと400年祭りって、めっちゃ昔の話なんですが・・・。
なんか、大阪城には櫓は結構ぎょうさんあるんですが、実際に中に入ったのは今回が初めて!
外から見る櫓となかから見る櫓は全然違う世界でしたわ!
実際の明かりも松明だったということで、電気松明ですが、そちらで照明を再現しとりました。
あんまり難しいことはわかりませんので写真で紹介・・・。
なにせ、専門知識がない私がレポートしとるさかいにご勘弁を・・・。
・・・ということで、展示パネルもかなりありまして・・・
早速金蔵からスタート!
昔は、軍事施設になっとった大阪城・・・。
めっちゃボロボロやん!?
改修で場所は少しずらしたらしいですわ。
・・・ということで、今はメッチャべっぴんさんになった金蔵。
航空地図で真上から見ていますと・・・
大きな地図で見る
こんな感じ!
こちら説明版・・・
金蔵は「かなぐら」とも呼び、普通は御金蔵と言われている。徳川時代、幕府の金貨、銀貨を保管した土蔵で、大金庫の役割を果たした。寛永(かんえい)3年(1626年)に創建されたが、当初二階建てであった物が、天保(てんぽう)14年(1843年)に現在の一階建てに改造された。内部は板張りで大小2室からなっている。火災と盗難防止に特に工夫がこらされ、床板の下には熱い石敷き、入り口には二重の土戸と鉄格子戸の三重構造、小さな窓は、土戸と鉄格子、床下の換気窓も鉄の二重戸となっている
現存する江戸幕府の金蔵はこちら大阪のこの金蔵のみやそうです。
ちゃんと中を撮影したらよかったんですが、ちょっと興奮しすぎて、天井部分と・・・
千両箱が置かれとった場所のみを撮影・・・。
ここに千両箱が積まれに積まれて、今のお金に換算しますと、常に500億~800億ど置いてあったそうですわ!
頑丈なつくりのために、一度も蔵破り、泥棒の被害にあうことはなかったそうなんですが・・・頑丈なだけに、やはりいろんな意味で内側からはもろく・・・関係者によって4000両ほど盗まれた記録が残っとるそうです。
千両箱はボランティアの方の説明だと・・・うろ覚えですんません・・・たしか22㎏ほどの重さ・・・。
500億~800億あっても、この蔵はそれだけの重さに耐えれるつくりになっとったらしいですわ。
ちなみにこの小判たちは金蔵の入り口で入場者に体感してもらおうと用意された小道具でっさかいに勘違いなさらずに・・・。
ということで、江戸時代のお金の勘定のしかたなどなど・・・。
ある種、こんなところに徳川埋蔵金があったっちゅ~話ですわ・・・。
またの機会に「千貫櫓(せんがんやぐら)・多聞櫓(たもんやぐら)」のレポートをUPする予定です。