ふと、何かのはずみである記憶が沸き上がり、そのまま動けなくなってしまう事がある。
本当の出来事から少々ずれていようと、”記憶”は、その人が思い出した時点での、過去の”事実”だ。
実際その時に辛い思いをしていても、時間が経って、思い出す事が楽しければ、それは楽しい体験だったと言える。
思い出す事が楽しいと、「もっとたぐりよせたい、」と思う。
しかし、記憶の糸をたぐり寄せているうちに、その記憶が新しく新鮮であればある程、些細な、どうでもよい出来事まで拾い上げてしまうのだ。
良い記憶。それは、”忘れる”という濾過や、”辛い”が”楽しかった”と言えるまでの発酵を繰り返し、初めて熟成される。
旅の記憶がそれだ。未熟な自分が、見知らぬ旅先で一人で居る事の自由や不安は、熟成すると僕の記憶に鮮やかな彩色を施すようになる。
学生生活最後の夏休み。僕はバイクに野宿道具を載せ、初めて北海道を旅した。
僕とバイクを載せたフェリーが小樽港に着岸し、北海道の地を踏んだ時、僕を囲んでいた壁は何一つ無くなり、かわりに現れたのは、僕を知る者の住まぬ台地と、その上に溜まった冷たい夜明けの空気だけだった。
そしてその全てが僕を刺した。
僕の破ち切れんばかりの不安は、握りなれた右手のアクセルを開ける事でのみ、打ち消された。
17歳の夏の出来事であった。

3年前。ヒッチハイクをしながら、当時に知り合った北海道の仲間を訪ねた。
最近、僕の中での北海道は、旅人に暖かい人たちが棲んでいて、各所に仲間が居て、気楽な旅をするには絶好の地、となりつつある。
しかし想った瞬間に手足が凍りつく程、僕の心を揺り動かす北海道の記憶は、仲間の家に泊まり、飲み歩いた事ではなく、初めて一人で走り始めた時の不安、僕を包んだ冷たい空気だ。
もう、僕が同じ季節、同じ場所に立ったとしても、同じ体験は出来ない。それはただ過去を懐かしんでいる以外の出来事ではない。
昨年、僕は初めてニュージーランドへ行った。
出発前、部屋においてあるザックが、テントや寝袋で膨らんで行く姿を見ているだけで、僕はもう既に十数年の年月を飛び越えようとしていた。
今思えば、僕は見知らぬ土地へ、記憶を拾いに行ったのかもしれない。

”キャニオンチュービングweb 更新雑記 ’04年11月24日版 「記憶の旅」 より”
本当の出来事から少々ずれていようと、”記憶”は、その人が思い出した時点での、過去の”事実”だ。
実際その時に辛い思いをしていても、時間が経って、思い出す事が楽しければ、それは楽しい体験だったと言える。
思い出す事が楽しいと、「もっとたぐりよせたい、」と思う。
しかし、記憶の糸をたぐり寄せているうちに、その記憶が新しく新鮮であればある程、些細な、どうでもよい出来事まで拾い上げてしまうのだ。
良い記憶。それは、”忘れる”という濾過や、”辛い”が”楽しかった”と言えるまでの発酵を繰り返し、初めて熟成される。
旅の記憶がそれだ。未熟な自分が、見知らぬ旅先で一人で居る事の自由や不安は、熟成すると僕の記憶に鮮やかな彩色を施すようになる。
学生生活最後の夏休み。僕はバイクに野宿道具を載せ、初めて北海道を旅した。
僕とバイクを載せたフェリーが小樽港に着岸し、北海道の地を踏んだ時、僕を囲んでいた壁は何一つ無くなり、かわりに現れたのは、僕を知る者の住まぬ台地と、その上に溜まった冷たい夜明けの空気だけだった。
そしてその全てが僕を刺した。
僕の破ち切れんばかりの不安は、握りなれた右手のアクセルを開ける事でのみ、打ち消された。
17歳の夏の出来事であった。

3年前。ヒッチハイクをしながら、当時に知り合った北海道の仲間を訪ねた。
最近、僕の中での北海道は、旅人に暖かい人たちが棲んでいて、各所に仲間が居て、気楽な旅をするには絶好の地、となりつつある。
しかし想った瞬間に手足が凍りつく程、僕の心を揺り動かす北海道の記憶は、仲間の家に泊まり、飲み歩いた事ではなく、初めて一人で走り始めた時の不安、僕を包んだ冷たい空気だ。
もう、僕が同じ季節、同じ場所に立ったとしても、同じ体験は出来ない。それはただ過去を懐かしんでいる以外の出来事ではない。
昨年、僕は初めてニュージーランドへ行った。
出発前、部屋においてあるザックが、テントや寝袋で膨らんで行く姿を見ているだけで、僕はもう既に十数年の年月を飛び越えようとしていた。
今思えば、僕は見知らぬ土地へ、記憶を拾いに行ったのかもしれない。

”キャニオンチュービングweb 更新雑記 ’04年11月24日版 「記憶の旅」 より”