3月とは言え、グアムは日本の夏の気候だった。

しかし全身から噴き出してくる汗は、その気候とあまり関係なく、僕の隣に座るおばさんの大きな咳払いを合図に噴出するようであった。


僕は、数日後に始まるコンサートに向け、グアムのオーケストラの助っ人として日本の演奏家達に混じってそこに居た。

リハーサル会場へ着くと、僕が指定された席は後ろのほうの左側で、隣には現地の大きなおばさんが座った。

目が合うなり、おばさんは笑顔とともに、恐らく「よろしくね」というような意味の言葉を僕へ投げかけた。

僕は英語が分からず、ただニコニコするしかなかった。


それまで、初めての海外旅行という事ばかりが占めて、浮き足立っていた僕の脳ミソは、リハーサルが始まったことでようやく自分がバイオリンを弾きに此処へ来たのだ、と把握し出したようだった。

それまで知らなかったが、左席の者には演奏しながら楽譜をめくる役割が有るらしかった。

リハーサルが始まったが、僕が譜めくりを忘れるので隣のおばさんが咳払いをし、僕はその咳払いを合図に譜めくりをした。演奏にはまったく付いていけず、譜めくりも一度として満足なタイミングに出来なかった。

苛立ちの高まってきたおばさんは、咳払いでは収まらず、とうとう弓で譜面をばしばしと叩き始めた。
頭皮の全ての毛根が縮んで髪が逆立つのを感じた。



その時いくら一生懸命やっても、出来る事と駄目な事がある。

これはどう頑張っても無理な案件に思えた。



僕は楽譜というものをまったく読めなかったのだから。


最終日のコンサートが終わった後。
何事も無かったかのように涼しい顔で写る昔の自分に、意外なしぶとさを感じる20年後の繊細な自分。