こんにちは。
 
 
 
 
 
 
今日のブログは、前置きなしで本題にいきたいと思います。
 
というのも、文章が長くなりそうだから。
 
 
 
 
 
いつものくだらない前置きは、次回からまたお付き合いください笑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今回書くことは、
 
もしかしたら一部の方々には反感を買うかもしれません。
 
 
 
 
特に、お子さまと共に毎日を懸命に生きている女性にとっては
 
好ましいものではないかも…
 
 
 
 
 
 
 
 
 
でも敢えて書こうと思ったのは、
 
なんといってもブログを始めた理由である、娘たちへの思い。
 
それを正直に書くことで、このブログは成立しているからです。
 
 
 
 
ぼくの自分勝手な気持ちも、歪んだ考え方も
 
一人の男の(おっさんですが)リアルな感情と思っていただけたらうれしいです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この前のブログに、
 
娘たちが、いつぼくの部屋に来てくれてもいいように
 
テレビや家具を揃えていると書いたんですが、
 
 
 
 
 
そういうことをしている自分の思いが
 
どこからきているのかを考える機会がありました。
 
 
 
 
 
 
 
 
それはやっぱり、親としての覚悟に他ならない
 
というのが、ぼくの結論です。
 
 
 
 
 
 
 
 
だけど、
 
家を出ていった身分で、それはあまりに自分勝手かもしれません。
 
親として、なんて。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
当時の妻と、離婚という決断に至ったとき
 
娘ふたりの父親という役目はそのまま続けていく、という約束を交わしました。
 
 
 
 
 
 
その約束は、
 
まず「娘たちのために」という思いが大部分を占めていました。
 
そういう意味では、向こうにとって経済的な打算も含まれていたかもしれない。
 
 
 
 
 
それから当時の妻がぼくにかけてくれた、精いっぱいの人情もあったと思います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今となっては、そんな約束をしたことを後悔しているかもしれません。
 
ただ、向こうにどんな思いがあったにせよ、
 
ぼくは父親という役目を、自分にできることをして
 
務めあげたいという気持ちで引き受けました。
 
 
 
 
 
 
 
 
至らないこともたくさんあったし、
 
例え離れていたって、できる事はもっとあったようにも思います。
 
でも、決して気楽に引き受けたつもりはないし、ぼくの実の娘たちです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
そして、向こうに人生の転機が訪れました。
 
娘たちの人生にとっても重大な出来事です。
 
 
 
 
 
 
だけど、ぼくだけは向こうの人生に転機が訪れたからといって
 
それまで自分なりに大切にしてきた
 
「父親」という看板を下ろすことができないのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
元妻の、家族を想う気持ちの強さ、そして優しさ。
 
思慮深さや下される決断。
 
ぼくは人間としての成長に従って、彼女への尊敬が高まっていきました。
 
今も尊敬しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だけど、彼女はぼくの「父親」という看板を下ろしたがっている。
 
娘たちの、自分自身の新しい人生のために。
 
それは、もちろん直接ぼくに働きかけるのではなく、
 
価値観という、ある意味での武器でもって娘たちに働きかけるのです。
 
 
 
 
 
 
 
 
向こうにとって、それは当たり前のことでしょう。
 
幸せになる、と誓って再婚したのだから。
 
娘たちを通して、視界の隅にでもぼくの姿がちらつくのは
 
本来許せないはずです。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
尊敬している人が、
 
父親という、ぼくの最も大切な役目に対して
 
唯一ともいえる敵であること。
 
悲しい事実です。
 
 
 
 
 
娘たちの意思を尊重するからこそ、
 
丸腰のぼくにとどめを刺さずにいる、というのが現状です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「いる辛さ」と「いない辛さ」は、融合しあえないのかもしれません。
 
ぼくはいくつもの身勝手さに自戒の念を抱き、
 
同時に、自分のなかに湧き上がる矛盾に翻弄されながら過ごしてきました。
 
 
 
 
 
 
 
 
だけどぼくは穏やかに過ごしていきます。
 
少なくともそうしていきたいと思っています。
 
それが、娘たちのためにできる事だと思うからです。