入塾してから娘は起きているときは学校、塾の宿題、習い事、睡眠時間はこれまで9時間~10時間が8~7時間の生活がしばらく続いた。宿題の山はこたつに国算理社漢字計算が積み上げられ減ることはなかった。塾に行く直前に国語が片付き、塾から帰ったら国語が積まれ常に4教科積み上げられていた。
1か月弱までは算数の分数はそこそこ授業に着いていけたが、過不足算、つるかめ算、年齢算になると全く着いていけず復習テストは10点20点になった。
主に算 理は私は娘が塾に行くまでに次の塾の教科書の解説の方法の解き方を勉強し、娘がその授業を終えて帰って来たらその日に一緒に複テの直しと、その日の宿題をした。特に算数は複テの直しだけで23時になることもあった。宿題の復習のために宿題でした問題をもう一度次の塾の前日にさせた。
複テで10点なのにそれを言わず、塾から帰ってからこたつでテレビをのんびり見ておりテストを見た私は怒り狂い「あんなに勉強してなんでこんな点数なん???!!!」娘は飛び起きて直ちに複手の直しが始まった。
同じような問題を何度も間違えたり、途中式を書きなさい、と言っても書かなかったり(忘れたり面倒であったりの理由)、段々怒り、いつも怒り、怒鳴り、ため息をつき、娘はいつも泣いていた。いつもびくびくしていた。時々、ほんとに時々だけ問題が解けた時だけ褒めた。ダメとは思いながら(思ってた?)授業についていくため、穴空きを防ぐため、焦って焦って、娘を追いやっていた。
理科は比較的怒ることはましで教えた分だけ吸収し点数が取れていた。
社会と文章や知識の国語は本人に任せていたが、やはり1~2時間はかかった。
国語は初めての漢字の宿題(72問+発展48問)は新しい漢字を丁寧にノートに1行づつ書くほど張り切っていたが翌週からはそんな余裕は無くなり、辞書調べだけはさせていたが習字で家族1番丁寧な字を書く娘なのに、段々雑で汚くなっていった。書き殴って鉛筆を放り投げて終了させていた姿は忘れないし忘れてはいけない。心が今も痛い。字を書くのが好きな子なのにこんな思いにさせてしまった。そしてテストも30点平均。更に漢字の直しも宿題で付いてくる。宿題加算のスパイラル。
もう、当たり前だが、体験が終わった時の「お母さん、塾行く!」や初日のはにかんだ笑顔は見ることはなく面影もなかった。
3月には毎日頭痛を訴えだした。薬を飲んでも効果なく、学校の保健室で頭痛で休むことがあり担任から連絡あり、目の下のクマが出て、家族でこれではだめだ、と思うようになった。
塾や学校を休ませたこともあった。学校を休んでもゲームやマンガを読むならとそれでも塾の宿題はさせた。
「何してんのやろ」夫婦で思っていた。夫は「いつでもやめていい。逃げ道はつくってあげなあかん」
表情が硬い時が多くなり疲れた顔した娘、本当に頑張り屋で真面目で私が母が鬼で怖くてたまらない。鬼の私ももういいと思った。怒られても疲れてもやりたくなくてもそれで娘はも山積みの終わらない宿題に手を付ける。パジャマ姿で23時、塾の宿題を終えて教科書をかばんに直す娘のそばに座りやさしくて聞いた。「塾やめたい?」娘は大きいめをまん丸くして「なんで??」と行った。辞める選択肢はなっかたようだった。「お母さんが考えていた以上に何倍も貴女が大変でお父さんとも話してもうよくやったと思っててん」
「やめへんよ。やめたくない」
喜ぶと思ったのに拍子抜けた。娘は私が思っている何倍も何百倍も強く、頑張り屋だったみたい。それとも私をがっかりさせたくないために、わたしに呆れられたくないためにそう思っているのかもしれない。あの時の娘は親の直感として中学受験を最後までする決心をしていると思ってる。
とはいえ家族会議で塾継続となったが、これでいいのか、失っているもの、取り返しの付かない事をしてるのではないか、やはり毎日、1日何回もそう思いながら過ごしていきました。