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朝顔

小学校の頃、理科の授業で朝顔を育てた事がある。同じような記憶がある人は多いのではないだろうか。

朝顔というのはひょろりとした薄緑の蔓から大輪の鮮やかな花を咲かせる、子供心にもその不思議に力強い美しさを備えた姿を好ましく思っていた。
夏の水やりは朝夕の涼しい時間に限ると教わって、まだ車も少ない道を学校に通う。
如雨露はクラスに一つで、代わる代わる水やりをしていると最後は必ず水の掛け合いになった、如雨露で霧雨のように軽く水を掛け合う内はまだ良いのだけれど、そのうちエスカレートして武器はバケツに及ぶ、バケツはいけない、パンツまでずぶ濡れになってしまう。
いくらクーラーの無い公立小学校と言ってもずぶ濡れでは4時間目まで後をひく、ちょっと寒いし気持ちも悪い、そんな奴らが必ず3人はクラスにいたような気がする。

濡れねずみたちの後悔は一瞬で日が開けるとまた同じ事を繰り返す、それも朝顔が枯れてしまうほんの数日間の出来事なのにまるであの夏の間中、そればかりを繰り返していたかのような気がする。
水しぶきの向こうに見えた校庭の白さと空の青さが妙に鮮明に記憶に残っている。

フランクロイドライトに憧れて

泊まってみたいホテルの一つに、フランクロイドライトが設計した帝国ホテルがある。

すでに取り壊されてしまっているのでその願いが叶う事は永遠にないのだけれど、絶対に泊まれないと思えばより強く思いが募る。

つい先日、日比谷の帝国ホテル内にフランクロイドライトスイートという特別室が作られた、一泊で100万円近い金額をとるその部屋の造作はもちろん写真でしか観た事は無いけれど、ライト館にはやはり遠く及ばないと思わざるを得ない。

出来る事ならライト館をそっくりそのまま再建して欲しい、先人の模倣をそのまま実現するのは邪道なのかもしれない、堕落なのかもしれない、それでも失われた事が惜しくてならない。

21世紀を代表する会社

サイバーエージェント藤田社長のブログを読んで感じた事。

20世紀を代表する会社はIBMやGMやトヨタやPanasonicでしょうか?
色々な名前が挙がると思いますがそのほとんどはきっとメーカーではないかと思います。調査をしてみると解る事だと思います、間違いかもしれませんが20世紀は物を作る生産の時代だったのではないかと思います。

では21世紀は?
情報の時代
情報を編集する時代
進歩よりもバランスをとるべき受難の時代...

これも色々な表現で色々な意見が飛び出る事と思います。
その答えはまだ出ていないと言うスタンスは卑怯かもしれませんが、そう考えざるを得ません。

かつて資本主義が主流となり、優秀なメーカーが世界経済を牽引してきたように、強く支持される理念が時代を作るのだと思います。支持には常に「自分を幸福にしてくれる」という期待が背景として存在します。

哲学的に難しい意味での幸福ではなく、単純に今よりも良い状態になるという意味での幸福への期待。

藤田社長、21世紀を代表するならば御社の理念が21世紀の答えであるために、人に期待され、それに応える必要があると思います。

「21世紀最も人類の期待に応えた企業」をめざしませんか。

人類の大きな期待を生む魅力的なビジョンとそこに至る道筋がサイバーエージェントによって拓かれることを期待します。

私も頑張ります。

いつだって遊び人は確信犯だ

「霞町物語」 浅田次郎著


夜の街が好きだと思い始めたのはいつごろからだろうか?


小学生のころ当時習っていた剣道の帰り道、誰もいない暗い校庭からネオンで赤く染まった夜空を見たときには既に夜の街の香気に惹かれていたような気がする。


霞町物語という小説は浅田次郎氏の自伝的小説で、六本木のディスコ文化華やかりしころ、夜の街で遊び倒す高校生が主人公になっている。


夜の街を颯爽と遊び切る姿がとても印象的だ、「東京」という場所に強くこだわり、都外からの侵入者を忌み嫌う。その異なる出自のものを寄せ付けない排他的な遊び方には純血を守ろうとする貴族のような虚飾を感じる。


それは危ういがとても魅力的だ、危うさを知りながら純粋に何かを求めるからだろうか。


IWGPをものした石田衣良は大人が遊ばない国に文化は育たないと言った、なんだ手前すかしやがってとも思うが、なるほどと納得せざるを得ない言葉だと思う。


もっと遊ぶ必要があると信じている、今までもこれからも。


夏、海

とりあえず、海だと思う
夏と言われたらまず海だと思う
空は青いほうが良いとも思う

極北日本海

丁度1年くらい前、北海道の札幌市に住んでいた事がある。
当時は週末になるととても暇だった、ある日あまりの暇さ加減のためレンタカーを借りて一人でドライブに出かけた、最初はあまり深く行き先など考えずとりあえず北を目指そうとだけ決めていた、車はフィット。

まず富良野に行ってみた、簡単そうに聞こえるが札幌からは実は結構遠い、昼に札幌を出発してたらたら走っていたら富良野の丘に立つ頃には西の空が赤くなり始めていた。丘の上から夕日を眺めながらふと思いついた、折角だから日本最北端まで行こう!
始まりはいつだって思いつきだ、旭川を抜けて宗谷岬の手前に至る頃には深夜と呼んでいい時間になる、北上を続ける車はとうとうオホーツク海沿岸に辿り着いた。
他に車などいない、右は海、左は原野、そしてとても風の強い日だった。
車を走らせていると不意に巨大な白い風車が現れた、月明かりに照らされたそれは異様と呼んでいいほど現実感の無い大きさで海岸に屹立している。

引き込まれるようにして車を止め、外に出た。身体が持って行かれそうな強風の中、風車は3枚のブレードで凶暴に風を切り裂く。

あのとき聞いた風車の轟音と吠える海は忘れられない。
いつか世界が終ったとしてもあそこはあのままなのではないだろうか。

ヴィレッジヴァンガード

有名だと思う、とても有名なチェーンの本屋さんだと思う。
有名になりすぎたとも思う。

大学の頃、友人に勧められてこの書店のドアをくぐった時の事は忘れられない。
「赤川次郎みたいなのは置いてませんから」
その書店はこんなポップを堂々と掲げていた、行為と趣味の是非はともかくとして、ここまで主張の激しい書店に出会ったのは初めての経験だった。

辛口ポップと品揃えの鋭さに心を打たれ、以来10年近くその本屋に通う事になる。
雑貨やCDの品揃えも面白い、どっから見つけて来たんや?というようなものばかりである。
もちろん売れ筋のJPOPなどどこにも無い、演歌はあってもJPOPは無い。

彼らは本屋の新しい楽しみ方を世界に示した、恐らくその楽しさの中には本屋を開く側の楽しさも含まれている。客よりもまず俺達が楽しいんだといわんがばかりの、その確信犯的な立ち位置が大好きだ。

誰よりもファンでありたいと願うが、やはり有名になりすぎて印象が薄れて来ている気がする。
刺激に慣れてしまったからなのか、それとも彼らが世間に迎合しつつあるのか。
後者ではない事を祈りたい。

本を読む場所

今朝、目を覚ますと梅雨が明けていた、場所はホテルニューオータニの一室。
昨日まで鈍色ばかり見せていた空が青い。

朝食を簡単に済ませてプールに降りた。
ニューオータニのプールは良い、赤坂プリンスやニューオータニタワーを眺めながらしばし背泳ぎする、椰子の木が視界に入るシュールな光景だ。

ひと泳ぎすると目も覚めたのでデッキチェアに横たわり本を開いた、2、3ページ読んでふと考えた、プールサイドで読むにふさわしい本ってなんだろうか?

 小難しい本はそぐわない気がする、そもそもそんな場所で人間の苦悩について書かれた本を読んだみたところで、「まあ、あんまり深く考えんなよ」と作者を励ましたい気分になるだけに違いない。

 考えてみると本を読みたいだけならプールサイドまで行かなくても山手線の中だろうがトイレの中だろうが読めるわけで、「プールサイドで本を読んでますよ俺!」というイメージが最も重要かつ唯一の価値なわけだからそのイメージを壊さない範囲内の内容かつ装丁の本が望ましい。

 読んだことは無いけれどハーレクインなんかは著しくイメージにそぐわない気がするしそもそも気持ちが悪い、シェイクスピアなんかの古典は眠くなりそうだし、三島由紀夫あたりは暑苦しい。やはりそれなりに気楽に読めて面白くないといけない。

ニューオータニあたりの高級ホテルは外国からのゲストも多いから外国人にもそれなりのインパクトを与える必要がある、かといって原書などを持ち出すと自分に対するインパクトが強すぎるので訳書に限る。

 ということは外国でも知れ渡っていてかつ気楽で面白いナイス装丁の本が良い!

 結論としてスティーブンソンの「宝島」、メルヴィルの「白鯨」、「千夜一夜物語」、ジュール・ヴェルヌの「十五少年漂流記」(2年間の休日)の完訳などの重装丁本を古本屋で探して持っていくというのはどうだろうか?

 みたいなことをプールサイドで考えた、本を読むという行為自体をどれだけ楽しめるかで人生は随分変わる気がする。

夢見がちBOYS②当日朝

2004年3月早朝
冷静に思い出せば、その日は曇りで寒い日だった気がする。
だけど記憶のなかでは空は晴れている、膨らみ始めた桜の蕾と暖かい日差しが春の訪れを予感させるそんな静かな日だった気がしてならない。

大学生活を通じて同じ時間を過ごしたケンジが卒業する朝、前日からホテルのスイートルームに泊まり込んで騒いでいたので少し寝不足顔の仲間たちと妙に神妙な面持ちのケンジが印象的だった。
入学式も、サークルに入った時も、引っ越した日も、初めてバイトをした時も、俺が大学の街を出て行った時もケンジは一緒だった。

午後11時ロビーのトイレで黒っぽいネクタイを整えてサングラスをかける、準備は整った。
歩くたびに小気味よく沈み込む絨毯の感触を楽しみながら最上階のフロアをスイートルームに向かった、ドアの両脇には黒ネクタイにサングラスの仲間が立っている、右手を少し上げて合図するとドアが開いた。

20帖はゆうに越えるリビングルームの片隅でケンジは窓の外の琵琶湖を眺めていた、振り向いて力なく笑う彼にかける言葉が見つからない。だから少し芝居じみた調子で言うべき事だけを言った。
「さあケンジさん行きましょうか。」
「行くか」

彼にはこの後の予定を一切伝えていない、サングラスの理由も、黒ネクタイの理由も彼は知らない。
部屋を出ると4人の仲間が彼の周りを固めた、無言。静かな時間が廊下に流れる、エレベーターの扉が開く音がやけに大きく聞こえる。

エレベータの扉が開く、誰もいないロビーを一塊になって歩いた。

6年前、入学式の日京都は季節外れの大雨が降っていた。俺たちは雨が降る中、慣れない革靴を履いて純粋な喜びと期待を胸に、入学式へと向かった、6年前のあの日おなじ道を歩いていた俺たちは皆他人だった他人のままの奴だっている。

 ロビーの突き当たり、ガラス戸の向こうに黒いクジラのような車が止まっている。
俺は我慢出来なくなって予定に無い言葉で沈黙を破った、
「なあケンジ、雨の中入学式に歩いていったんだ卒業式ぐらいリムジンで登校したって罰はあたらんだろう。」

スーツ姿の運転手がキャデラックの扉を開く、俯いて笑いをこらえながらケンジがシートに身体を滑り込ませた。

夢見がちBOYS①

タイトルをまず思いついた。
中身の事は何も考えていない、でも愛すべき集団の名前に聞こえる。

好きな映画は?好きな本は?こんな質問を投げかけられるととても困る、いつも答えは違うけれど共通項がある気がする。その共通項が何かと言うと「全てに共通して夢見がちな奴らが出てくる」という事だと思う。

最近だと「木更津キャッツアイ」とか「ウォーターボーイズ」「Fly Daddy Fly」、古い所だと「69」や「Good Will Hunting」なんかになる。苦悩とハイテンションが交錯する半狂乱の物語だらけだ。
これらの物語に登場する主人公たちは10代の後半から20代の前半にかけて人生の師匠であり続けた、そして今もそれは継続している。

面白い事と面白く無い事をはっきりさせる姿勢、価値観、行動力、想像力全てが憧れだった。
彼らと競るようにして過ごした時間は彼らの物語に負ける事は無いと思う。

人生の中で5本の指に入るぐらい楽しかった24時間の記録をここに残したい。
いや、残させてくれ!

May be you know 始まりはいつだって思いつきだ。