今日、1月17日は阪神淡路大震災の日ですね。


どこのブログでも触れている事だろうと思い、僕はいいかとも思いましたが、やはりちょっと触れておきたくて、書いてみたいと思います。




当日は、僕は京都市の北部で地震を経験しました。


じつはその時刻(5:46)、たまたま5:40に目が覚めて、ベッドから上半身を起こしてうつらうつらしていたところにその地震を体験しました。


かなり慌てましたが、揺れが納まった後 すぐにテレビをつけると、めざましテレビで早速その地震の速報が流れました。

今でもはっきりと覚えていますが、その速報で、京都市や大阪北摂辺りが震度6弱でその他 近畿全般の震度が出ていたんですが、6時を過ぎた頃だったと思いますが、キャスターの大塚さんが


「神戸だけがまだ震度が出ていません。ちょっと気になります。」 


と言ったのが、確かに僕にもすごく嫌な予感を感じさせました。 結果、その予感が当たってしまい、神戸や近隣の街がとんでもない事になってしまったんですが。




昨日、フジテレビで、震災当時の神戸新聞社の模様を採り上げたドラマをやっていましたが、その震災時の大阪・毎日放送ラジオの対応もとても印象的だったので、ご紹介したいと思います。


この震災の翌日の18日、僕は四国へ出張する案内を出しており、日をずらしてもあまり状況は変わらないだろうと考え、通常のルートとは違う兵庫県中部を通るルートで岡山に抜ける道で行くことにしました。


いつもと違う道を使うため早朝5:00に家を出てクルマを走らせましたが、その中でやっていた毎日放送ラジオのニュースで、当時まだ20代後半だったと思いますが、亀井希生アナウンサーが学校休校に関するニュースを読んだ後に、多分間違いなく本人の判断だと思いますが、


「あくまで個人的な意見ですが、学校の都合を優先せず、自宅の都合を最優先することをおすすめします。」 


と2~3度繰り返しアナウンスしていました。


入社してまだ5年も経っていなかったかと思いますが、そのアナウンサーが個人の判断で発した言葉。

まだ若手のアナウンサーとしては、とても勇気の要るアナウンスだったと思います。

でも被災者のことを親身に考えた、とても血の通ったアナウンスだったとも思いました。


その後も毎日放送ラジオは、ふだん馬鹿なことばかり言って聴衆を楽しませているお偉いさんのアナウンサー(角淳一アナ)が、


「今、自治体も一生懸命対応に当たっていると思いますしNHKもいろいろな情報を流していますが、僕らラジオが情報の伝達に役立てると思うので、それらとは違った、情報交差点的な役割をしようと思います。」


「被災者に役立つ情報があればどんどんご連絡下さい。この放送を使って流しますから。」


と伝え、「ここには水があります」とか「ここに行けば○○が手に入ります」など、被災者同士が提供し合う様々な生の情報を流し続け、役に立とうとしていました。


そのうち、何か 「ん?いつもと違う」 と違和感を感じたんですが、これはこの放送局が一切のCMを打ち切っていたためでした。

ヘタをすれば広告収入にも影響するCMを打ち切って、その時間を被災者のために情報を流し続けることに徹しようとしていたんです。


ザッピングで他の放送局も聴いてみましたが、CMどころかふつーに曲まで流していた放送局もあり、ものすごい温度差を感じました。(もちろん、被災者に勇気づける曲を流すというのであれば”アリ”やと思いますが、まだ被災2日目でとてもそんな状況ではありませんでした。)


その後の放送でも、自身が被災しているこの局のアナウンサーが、動けずにいる現場から生のリポートを流し、何が不足しているか、どのような助けが役に立つか、などを被災者自身の立場で、的確に放送に流れるように伝えていました。


まさに局一丸となって被災者のためにどれだけ放送が役に立てるか、真剣に取り組んでいる姿勢がビンビンに伝わってきました。




その後、復興に向けて年月が経った後もこの毎日放送は、「ネットワーク1.17」という、震災者向けのケアや復興に関する情報を流すレギュラー番組を3年に渡って(だと思います。ひょっとしたらもっと長いかもしれませんが) 続けていました。


他の在阪ラジオ局もザッピングしながら聴いて、各局それなりに震災情報を流していたことは承知していますが、この毎日放送が飛び抜けて ”自分たちができるラジオ放送を震災者のためにいかに役立てよう” という姿勢を際だたせていた感じがします。




ちょっと書くと言いながら長くなりましたが、当時の毎日放送ラジオの姿勢が忘れられず、ちょっとご紹介してみました。


僕の友人、知り合いも被災しましたが、不幸中の幸いで、不幸は無く、みんな命がありました。



今日は、僕にとって別でプライベートで大事な日なんですが、この震災について毎年回想する日でもあります。