脳卒中おじさんの回想

私の脳卒中リハビリテーション

<高校の卒業50周年記念誌に書いたもの>

2008年の3月23日22時頃に脳卒中
に家でなった。
脳卒中とは、脳の栄養血管の突然の変化に
よって脳の症状が突然出現する病気を全て
含んでいます。
脳梗塞、くも膜下出血、脳内出血が含まれま

脳梗塞は血管がつまる病気、 くも膜下出血
と脳内出血は血管が切れる病気です。私は
脳内出血になった。
救急車で病院に行き、左の脳がなったので、
手術し、右足と右手と失語症と右の顔のま
ひになった。失語症は「聞く」「話す」「読む」
「書く」が障害される。90%以上の人で言語
野は左大脳半球にあるとされる。
5月15日に別の病院でリハビリテーショ
ンした。病院でリハビリを担当するのは、起
き上がる、歩くなどの基本動作の能力を向
上させる運動や訓練を行なう「理学療法士」、
食事をしたり、着替えをしたり、トイレに行
ったりするようなく生活動作を身につけた
り、能力向上させる訓練を担当する「作業療
法士」、構音障がいや失語症などが残った方
に、話す、書く、読むなどの訓練を行なう「言
語聴覚士」などで、それぞれ医師と連携して
行ないます。一般的に脳梗塞や脳出血のリ
ハビリは、「6 か月の壁」と言われるように、
発症後 6 か月のうちにどれだけ後遺症を改
善できるかが重要と言われています。6 か月
経過後は、「プラトー」と言われるように症
状が固定されていくとされています。私は
この「6 か月の壁」を後でしった。
11 月15日に退院した。家でおり 足の練
習をして、次の年の10月に
障害者福祉センターに一週間に月・金に行
った。障害者福祉センターには理学療法士・
作業療法士・言語聴覚士がいて訓練を行っ
た。
私の右足・右手・失語症・右の顔のまひを私
が考えることがでした。
1.歩くこと
毎日に妻と外を15分まで歩く
毎週に火曜にサポート人と2時間30分ほ
うと歩く。
2.夜毎日30分ぐらいリハビリの体操を
していた。
右足・右手をしていた。
3.夜毎日30分ぐらい本を声を出して読
んだ。
4.プールも月2・3回までいった。
右足に体重を掛けて 50m 歩く
水泳約200m 位泳げる。。
右足が赤く方にやっていますのがプールに
いっていると夜にリハビリの体操で健康に
白になった。
右手の手もやわらかくなった。
2009 年 6 月 18 日に 慶應義塾大学医学部
リハビリテーション医学教室の電気刺激治
療( HANDS 療法)をたのみましたが
手がうごかないのでだめでした。

2010 年から東京慈恵会医科大学附属病院リ
ハビリテーション科の安保診療部長の
低周波治療についている。電気で手がうご
くことをしたがだめであった。
2009 年12月24日から右手から左手で書
いた日記をしています。1行からはじまし
た。今も行数は増えたが毎日書いています。
私は 2012 年 9 月から、脳卒中おじさんの日
記(http://hana1951.cocolog-nifty.com/)は毎
日 書いています。
障害者福祉センターは65才で卒業したので
1日デイサービスに行きました。
私は 2017 年11月に腹部大動脈瘤になっ
た。
腹部大動脈瘤とは、腹部大動脈が部分的に
大きくなる病気で、通常は 20mm 程度の大
動脈が 30mm 以上に膨らんだ状態です。
2017 年11月21日
心臓が痛いので西東京中央病院に行きまし
た。心臓の下に水がかった。私は、腹部大動
脈瘤になったがその病院に東京医料大学の
医者がいった 。
11月27日
東京医料大学に入院した。心臓の下に水が
かったので点滴を最高10種類も手に入っ
て小便を出す。肺炎になった。 右足に傷が
できていた。右足の装備品のためです。
1月17日
心臓カキーテルの手術をしましたばかり4
時間にかかった。先生は手術は短くであっ
たと言った。私は肺炎になった。
湿った咳に変わっていき、熱が下がった後
も約 3~4 週間、咳は長引きます。
経管栄養となってチューブやカテーテルな
どを使い、胃や腸に必要な栄養を直接注入
することです。
私の体重は57kg→43kg になった。
私の体は細くなった。顔や手や足は細くな
った。
2 月 22 日
東京医料大学から西東京中央病院になった。
目的は
1.この病気の様子を見た。
2経管栄養から普通の食事になった。
3.リハビリテーションを行う
4.右足が褥瘡になったをなおす。
4月28日 私の自宅に戻りました。
1日デイサービスに行きました。
理学療法士が自宅に来て歩きを見てもらう。
2018 年11月に腎臓病になった。腎不全が
進行し自覚症状が出現すると、透析療法が
必要となります。
食事療法の基本は腎臓の働きや病気の症状
に応じて医師からたんぱく質、エネルギー、
食塩、水分、カリウム等についての摂取量の
指示がだされますので、指示にあった食事
をします。食事をよくしたので透析療法は
しなくてよくなった。
私は色々な病気になったが妻や子供たちや
親戚や友人のサポートがあったことでここ
まで来た。

 

 

11月21日
心臓が痛いので西東京中央病院に行きました。心臓の下に水がかった。私は、腹部大動脈瘤になったがその病院に東京医料大学の医者がいった 。
11月27日
東京医料大学に入院した。心臓の下に水がかったので点滴を最高10種類も手に入って小便を出す。肺炎になった。 右足に傷ができていた。右足の装備品のためです。
1月17日
心臓カキーテルの手術をしましたばかり4時間にかかった。先生は手術は短くであった。
私は肺炎になった。
湿った咳に変わっていき、熱が下がった後も約3~4週間、咳は長引きます。
経管栄養となってチューブやカテーテルなどを使い、胃や腸に必要な栄養を直接注入することです。
私の体重は57kg->43kgになった。
私の体は細くなった。顔や手や足は細くなった。
2月22日
東京医料大学から西東京中央病院になった。
目的は
1.この病気の見た。。
2経管栄養から普通の食事になった。
3.リハビリテーションを行う
4..右足に傷をなくなった。
です。
4月28日 
私の自宅に戻りました。

 

 

昨日の自動車運転訓練の実施の続き

 

国立障害者リハビリテーションセンターの自動車訓練室に自動車運転訓練の実施にいった。

 

 

有限会社フジオート - FUJICON:自操式運

転補助装置

 

 

高次脳機能障害学会の理事がいるので私の自動車を運転するとき空間認知に障害があるか見てくれる病院(所沢市の国立障害者リハビリテーションセンター?)調べてもら次のような返事がきた。

友人と車で総合東京病院にいった。

 

 

私の自動車の運転に高次脳機能障害は問題がある?

 

 

 

病気になって7年になるが自動車教習所に自動車の練習に行った。

 

友人と618日に新座の自動車教習所に行き自動車の練習をすることを連絡した。

 

 

 

自宅の近くのアパートの周りを歩いた。