東日本大震災から2年・・
何も進展せず 苛立ちを覚える日々を過ごしていますが・・
冷静に伝える新聞記事を紹介したいと思います。
平成25年3月11日付け 日本経済新聞 4面より・・。
クリックすると拡大され 内容が読めるとは思いますが・・
以下は 私自身が共感した内容を書いていきます。
3・11から何を学ぶか。
例えば「釜石の奇跡」がある。 釜石市は1200億円かけ湾口部に築いた
ギネス級の防波堤が津波で壊れ、1000人を超す死者・不明が出た。
ところが、約3千人の小中学生に限れば、犠牲者は5人。
99・8%が無事だった。
子どもたちは率先して高台に逃れた。
● ハード(構造物)で防げるのは限定的
● 自分の命は自分で守る国民強靭化こそ大事
伊勢湾台風を機にできた災害対策基本法は
防災を、国、都道府県、市町村の「責務」とした。
その一方で「住民の行政依存が強まり防災過保護になった」
あの日、すべての住民が、警報も待たず、ハザードマップにもとらわれずに
駆け出した釜石の小中学生のようだったら、
犠牲者は相当減っていたはずだ。
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民俗学者、赤坂憲雄学習院大学教授が先月、日本記者クラブで会見した。
明治初めに約3千万人だった日本の人口が、150年ほどかけて
1億3千万人弱まで増えた。
50年後には8千万人台に減る見通し。
「海岸に巨大な防潮堤を建てるということで公共事業が先行して進んでいる。
けれども8千万人台の人口を頭に描いたとき、3・11の時の海岸線を守ることに
果たしてリアリティーがあるのか」と問う。
赤坂教授は「いたるところに潟ができている」のを見た。
海を埋め立て開いた水田などが昔の風景に戻っている。
「潟に返してやればいいじゃないか、と思うようになった」という。
人口膨張に合わせ延び切った戦線を縮小することも
事前防災につながる。
見上げるような防潮堤で海辺を囲むのか。
津波の心配のない地域への移住を進める方がよほど現実的だ。
・・・ という内容・・。 正論だと思います。
★ 次に・・ 三陸地方に甚大な被害を与えた津波のみを書き出していきます
(江戸末期から現在まで・・間隔も併記)
1836(天保7年6月25日) 城の石垣崩れ、海水溢れ、溺死者多し・・
↓
20年
↓
1856(安政3年7月23日) 昼頃地震あり。次いで大津波あり・・
↓
40年
↓
1896(明治29年6月15日) 「明治三陸地震」による津波・・
↓
37年
↓
1933(昭和8年3月3日) 「昭和三陸地震」による津波・・
↓
27年
↓
1960(昭和35年5月24日) チリ地震が起因の津波・・
↓
51年
↓
2011(平成23年3月11日) 東日本大震災
色々と書きたい事はありますが・・
近い将来・・ 子の世代・孫の世代には再度津波が襲って来ると思われます。
その時 被害をいかに少なく出来るか・・
日本中 いや 世界中が注目するでしょう。
国の政策が無ければ復興は不可能ですが・・
最終的に決定するのは 被災された方々です・・。
・・・ 何か うまく まとめきれません・・。
しかし 書かずにはいられなかったので・・ 中途半端ですが 以上です・・。