9月3日、目黒区で5歳児が虐待死した事件の初公判があった。

 

 母親の被告は、夫の心理的DVがあり、自分に暴力が向くのが怖かったとのこと。

 

 痛ましい事件。

 

 結果として一つの幼い命が奪われている。

 

 『対岸の火事』では無いと思う。

 

 虐待なんて酷い!

 信じられない!

 児童相談所は何をしていたの!

 

 と起きたことに対して批判するのは簡単だ。

 

 その時に、自分はどうだろうか?

 と考えてみる。

 

 虐待死した女の子、結愛ちゃんの心を思うと、とても痛ましく感じる。

 

 ゆるしてください。と大学ノートに書いて親に懇願した結愛ちゃんの気持ちが計り知れない。

 

 ただ、胸が押し潰されそうになる。

 

 そして、日々の生活の中で、自分に合わない人を批判する人を見る。

 

 それは、その人の心を、その人の居ないところで虐待しているのかも知れないと考えたりする。

 

 『自分が嫌だから』

 という心の防衛反応で、人を傷付けていると感じてしまう。

 

 自分だって知らないうちに人を傷付けて生きているかも知れない。

 

 『事件』になれば、酷い?

 

 自分ならそんなことはしない?

 

 でも、自分の嫌な人は批判する?

 

 それで誰かが傷付いたとしても?

 

 この国では、『愚痴』と『文句』と『批判』の境目は曖昧だ。

 

 そして、『自分を守ること』と『相手を傷付けること』は表裏一体である。

 

 ならばどうしたらいいのか?

 

 それが、『相手の立場に立って考える』ということだと僕は思う。

 

 この事件を省みた時に、『自分なら命懸けでも我が子を守る!』という人が大多数だと思う。

 

 でも、

 だからこそ、

 この母親の立場に立って、

 受け入れられなくても、

 「その時はそう思ったんだな。」と受け止め、

 自分にとって嫌な人でも存在を否定をしない。

 

 そういう気持ちが大切なのかも知れない。

 

 ただ、『事実は覆らない』。

 

 『幼い心を傷付けて、命を奪った』事実は覆らない。

 

 その事実に僕は、強い憤りを感じる。

 

 でも、

 だからこそ、

 

 世の中には『命を奪われてはいない』が為に、

 表面化されていない『心を傷付けられている幼い子供』が多数存在している事実をこの事件から知り、

 

 それについて批判するのではなく、

 

 自分に何が出来るのか?

 

 を考えてみるのも自分が出来る一つの方法だと思う。

 

 周りが気付くのも一つだし、

 

 この母親の真実が『心理的DV』ならば、夫と離れるのも一つ。

 

 夫にDVの更正をさせるのも一つ。

 

 話を変えれば、

 

 相手がこんなことした! と攻撃批判する前に、

 

 相手の気持ちを知り、 

 

 それに対してどうしたらいいのか? を時には第三者を交えて話し合い、

 

 相手の立場に立って行動する。

 

 そういうことを考える。

 

 心の根底では、

 

 相手を攻撃するのは、自分を守る為にしているのかも知れない。

 

 自分の魂を守る為にしているのかも知れない。

 

 このような事件を『痛ましく思う』のは、自分の魂が傷付いているからで、

 

 自分の魂が傷付けられた時に、人はそれを守る為に攻撃をするのではないだろうか?

 

 攻撃の対象はエゴが強い人ほど他人の心に向かい、

 利他が強い人ほど自分の心に向かうと感じる。

 

 心(感情)の根底には魂があり、人は魂を守る為に行動しているのだと考えている。

 

 WHO(世界保健機構)の条文に健康の定義がある。

 

 それには、肉体的な健康のみならず、『精神的な健康』にも言及している。

 

 自分の魂が傷付けられた時に、それでも相手の魂の安寧を願うこと。

 

 それは酷く難しい。

 

 でも、

 だからこそ、

 

 そういう世界が拡がれば、

 未来の子供たちの、

 魂は、

 心は、

 体は、

 守られていくんじゃないか?

 

 そういう世の中になれば、

 虐待は減るんじゃないか?

 

 子供が大人になったのが大人だから、出来ないことが在っても当然だし、学んでいないことは難しい。

 

 でも、イエスキリストが言った『汝の隣人を愛しなさい』が、僕は、一つの答えのような気がしてならない。

 

 『愛』。

 

 この世界の子等、全てに愛が波及すれば、虐待は無くなるんじゃないか?

 

 理想論だとは思う。

 

 人は知らないうちに人を傷付けて生きている。

 

 だからせめて知りながら相手を傷付けることはしないで生きていくことが大切なことなんじゃないかと、

 

 そうした時に、世の中から虐待は減るんじゃないかと、

 

 今僕は考えている。