6月19日に児童福祉法・虐待防止法が改正された。

一、親権者や里親らは児童のしつけに際し、体罰を加えてはならない。民法の懲戒権の在り方は、施行後2年をめどに検討

一、児童相談所で一時保護など「介入」対応をする職員と、保護者支援をする職員を分けて、介入機能を強化

一、学校、教育委員会、児童福祉施設の職員に守秘義務を課す

一、ドメスティックバイオレンス(DV)対応機関との連携も強化

一、都道府県などは虐待した保護者に対して医学的・心理学的指導を行うよう努める

一、児相の児童福祉司に過剰な負担がかからないよう人口や対応件数を考慮し体制を強化

一、転居しても切れ目ない支援をするため、転居先の児相や関係機関と速やかに情報共有

 
 児相側の人材確保やタスク管理などが課題のようだ。

 まず、法律が次々時代に合わせて変わるのは良いことだと思う。

 その時、その時に国として対処出来るフットワーク軽さは良い。

 問題は中身が伴うか? である。

 御上の決めたことにたいしての行動化、限られた資源の中で、どう効率化を進め、心も無くさないように対処していくか?

 僕は周りの人が評論家になってはいけないと思う。

 働いている人にしてみれば、幼い命が弄ばれる中で、必死に毎分毎秒、文字通り命を削って働いているのだ。

 そこに矢のように降り注ぐ批判、そして御上からの指令、それも法律に基づいて下されていく。

 日本は言わずもがな法治国家だ。

 法の名の元に国が運営されていく。そこに個人の感情や実際に現場で働いている人の意見より、事実が重きに置かれる。

 事実、幼い命は傷付いているのだ。

 そこを評論家宜しく現場に居ない人が軽々しく「児相が悪い」と世論に加えるのではなく、双方の言い分を伺った上で具体的な意見を述べることが大切なことだと思う。

 児相に職員が居なくなったら。

 大変だと思う。

 どんな仕事でも、相手の立場を慮り、相手の気持ちを考えながら行動していきたい。

 『もしも自分が同じ立場に立ったならば』

 想像して、そして想像したことすら自分の想像を越えないことを知り、その相手を尊重して、生きる。

 自分を批判する人も、自分という存在を肯定しているから批判という意見が出るということを知る。

 相手を批判したくなったら、相手の立場や気持ちを慮る。

 生きているだけで人は人を傷付けている。


 僕のブログも、きっとどこかで誰かを傷付けているかも知れない。

 でも、それを知りつつ、何かを伝えること。

 ただのエゴによる主張だけを述べるのではなく、相手の気持ちをなるべく鑑みながら、なるべく相手の話を聞いた上で対話をしていく。

 そういうことが大切なことではないかと今僕は思う。


 幼い子供の命を大切にする社会を心から望む。

 妻は精神病 僕の気持ち ※はじめての方はこちらから