先日関東では台風に続き、豪雨にみまわれました。
昼過ぎごろ、次第に雨脚も強まってきたため今日は早めに切り上げようということになり、いつもよりも早めに仕事場を出ました。
川崎からアクアラインにのり千葉に向かっている途中は、ワイパーを最速にしても追いつかないほどの豪雨。
周りの車も速度を落として走っていましたが、あまりの雨量と道路にたまった雨の水位にハンドルをとられていました。
高速道路を降りた後、町中も冠水がひどく道路は混乱状態でした。
しかし、それから30分もしないうちに、僕が部屋に着いたころには雨はピタッと止み、青空まで見えていました。
週末は休みなので地元に帰るつもりだったので、今がチャンス!と急いで用意をして車に乗り込み出発しました。
ナビはいつもと違う道を示していましたが、「今日はこっちのほうが空いてるんだなぁ」なんて思っていました。
が、このときは先ほどまでの豪雨が影響で道路が通行止めになっているなんてことは思いもしていなかったのでした。
そしてナビの通りに初めて通る道を走っていると、突然前の車がハザードをたいて止まりました。
なんだろうと思い覗いてみると、なんと田んぼを流れる川が氾濫し、向こう側の国道とをつなぐ橋が渡れなくなっていました。
このときことの重大さを実感しました。
しかたがないので、迂回をしてなるべく大きな道を探して30分ほど車を走らせましたが、この辺りはあの川の影響か冠水がひどく、所々が通行止めとなっていました。
高速道路のインターが近かったので、「高速にのってしまった方が安全かな...」と思いインターに向かいましたが高速は通行止め。しかも開通を待つ車であふれかえり、中には浸水で故障したと思われる車もたくさんいました。
「知っている道に戻ろう」とまた車を走らせると、見覚えのある道に出ました。
そう、あの冠水して通れない橋につながる道です。
最初に通った時から1時間以上たっていて、疲れと若干のいらだちから、僕の頭の中にはこんな思いがよぎっていました。
「この橋を渡ればすぐそこは国道。さっきよりは水位も下がってるだろうからもしかしたらいけるかもしれない...」
そして橋の近くまできましたが、先ほどとなんだか様子が違います。すると前の方から人が歩いてきて、ぼくに窓を開けるよう合図しながらこう言いました。
「今、この先の川が氾濫して橋は渡れません。私の前にいた車が無理に渡ろうとして流されました。今はもう見えません。命があるかどうか...」
僕は自分が怖くなりました。
少し様子を見て、行けそうなら行ってしまおうか...そして実際に流されてしまった車がいたのです。
実際には川は先ほどより水位が上がって渡れるような状態ではありませんでしたが、ちょっとした違いで、もしかしたら流されていたのは自分だったかもしれないのです。
そしてまた迂回し、今度はナビの言う通りに大きな道を選んで走ろうと思い車を走らせました。
途中タイヤが埋まってしまうほどの水たまりや、流されてたきた土砂や流木はあったもののなんとか車を走らせられました。
しかしナビの示す先はことごとく通行止め。迂回を繰り返すとだんだんと狭い道に入っていきました。
「このまま行くと......」
また戻ってきてしまいました...
もう日も落ちて真っ暗でしたが、橋の周りはライトで照らされていました。
レスキュー隊が先ほどの流された車を救助しにきていたのです。
消防車に設置された強力なライトの先には、水面から30センチ程だけ頭をだした車が見えました。
橋から200メートル程流されて、その先の緩やかなカーブになっているところで引っかかり止まったようです。
レスキュー隊員がメガホンで、「もう少し頑張って下さいね!」と叫んでいるのを聞いて、運転していた人は無事だったのかと少し安心しました。
とは言えドアは水圧で開かず、残された30センチ程の空間で息をしている中の人の恐怖は計り知れないなと思いました。
この後僕は、出発地点まで戻って通れる道を探しなおそうと決め、いつもより4時間ほど遅れて無事地元に帰ることができました。
今回のことで、自分が「行けるかも...」と思ったことや、道路や周囲の状況に対しての警戒心がなかったことに少し危機感を感じました。
たった一つの選択で、流されていたのは自分で命も助からなかったかも知れない。
そもそも今日は車を走らせるべきではなかったのかもしれない。
災害時に限らず、自分の選択や行動が間違っていないかを冷静に考えることが大事だと思った出来事でした。