こんにちは。ここ、吉野梅郷は、小雨が、降り続きます。その、しっとりと、降り注ぐ、小雨に、6月の花、紫陽花の,花が、応えます。こんな、情景が、しばらく、見られそうな,6月も、終わりの、日々です。

 

 日影和田村 目医者伝 17

 

  日影和田村、4代目、目医者、佐右衛門にも、 2代目、日影和田村、目医者、佐右衛門と、同様に、目医者家業の、子々孫々への、継続を、強く、願っていた、思われる、点が、見受けられます。4代目、佐右衛門の、方は、目医者家業と、云うよりも、家、そのものの、存続に、腐心していた、様子が、見受けられるのです。2代目、佐右衛門の、門弟として、日影和田村の、目医者の、家に、入り、2代目、佐右衛門が,亡き後に、乞われて、日影和田村の、目医者を、4代目として、継いだ、者に、とっては、目医者家への、思いには、並々ならぬ、ものが、あっても、おかしくは、なかった、はずです.4代目、佐右衛門は、継嗣、「鶴松」を、慶応元(1865)年、7月8日に、27才の、若さで、亡くしています。佐右衛門、54才の、時の、ことでした。この、4代目、日影和田村、目医者、佐右衛門が、望んで、いたと、考えられる、継嗣、「鶴松」に、目医者を、継がせようと、していたことは、詳らかでは、ありません。また、その、あたりの、子細に、ついても、後の、世代にも、伝えられて、いないようです。仮に、4代目、日影和田村、目医者、佐右衛門が、その、息、「鶴松」を、目医者に、しようとしていたなら、その、様子やらはは、何らかの、記録にも、また、口伝としても、残って、いて、おかしくは、ないはずです。4代目、日影和田村、目医者、佐右衛門に、とって、自分の、意に、反するような、出来事が、この、日影和田村の、4代に、渡る、目医者家の、周囲に、また、息、「鶴松」を、巡っての、環境にも、何か、変化が、生じて、いたのでしょうか。

  4代目、日影和田村、目医者、左右衛門の、継嗣、「鶴松」は、八王子千人同心の,一人として、嘉永7(1854)年の、秋に、河野組千人同心組頭、二宮左門太光鄰(にのみやさもんたこうん)

に、よって、作成された、木版刷の「番組合之縮圖 ー 千人同心姓名在所圖表 ー 」の、中の,四十番、日影和田村の、蘭に、千人同心、志村組の、一員として、他、2名と、共に、名前が、記されています。この、時期、千人同心の、「身分」が、株として、売買されて、いたようなのですが、「鶴松」も、その、売りに、出されて、いた、同心株を、購入し、八王子千人同心として、名前を、「番組合之縮圖 ー千人同心姓名在所圖表ー」に、名前を、記したようです。その、千人株購入の、費用は、「鶴松」の、父親、4代目、日影和田村、目医者、佐右衛門が、出資したことは、疑う,余地は、ありません。この、「鶴松」、確かに、「千人同心」で、あったという、事実は、この、4代に、渡った、目医者家に、伝わる、古文書類でも、確認することが、できます。青梅市史史料集第六号は、古文書目録と、称し、個人宅に、残る、市内の、古文書を、紹介しています。その中、日影和田村の、4代に、渡った、目医者家に、伝わる、古文書の、中に、八王子千人同心に、関わる、古文書と、考えられる、ものが、見受けられます。一つは、「千人同心身分請書」、一つは、「剣術五段之切紙」、一つは、天然理心流目録」、一つは、天然理心流剣術表」の、合わせて、4点の、古文書です。最初の、古文書を、除いた、後の、剣術に、関する、3点の、文書など、八王子千人株の、購入と、セットで、得たものとも、考えられますが、日影和田村、4代目、目医者、佐右衛門の、継嗣、「鶴松」の、周囲の、当時の、環境から、考えれば、「鶴松」、本人に、関する、書類と、考えた、方が、自然です。天然理心流は、新選組の、近藤勇に、代表されるような、武術の、流派であり、多摩地方を、中心に、当時、隆盛を、極めていた、武術で、あったこと、また、日影和田村には、やはり、八王子千人同心の、一員で、あった、石川良助が、「柳剛流」石川道場を、開いて、その、石川良助の、父親も、天然理心流を、学び、天然理心流の、免許皆伝の、腕前の、人物で、あったのです。当然、石川良助も、最初は、父親から、天然理心流の,武術を、学んでいたのです。「鶴松」は、その、「石川良助」の、影響を、受け、天然理心流の、武術を、学んだと、考えた、方が、良さそうなのです。日影和田村、5代目、目医者を、継ぐ、はずで、あった、「鶴松」は、その、周囲の、環境と、「鶴松」を、取り巻く、時代背景から、5代目、目医者を、断念し、八王子千人同心の、一員として、幕末という、時代に、翻弄されて、いったのでは、ないのでしょうか。 (続く)

 

参照

青梅市史史料集第六号 古文書目録

青梅市文化財ニュース 第174号 青梅にもいた八王子千人同心

「番組合之縮圖 ー 千人同心姓名在所圖表 ー」 八王子郷土資料研究会復刻版 

                                          八王子千人同心旧交会 褊