10年前の今日
青空が晴れ渡って、暑い日でした。
あの子と元主人と私は、近くの海で、午後に待ち合わせをしていました。
(私は、元主人の事をお父さんと呼んでいました)
お父さんと息子は午前中から一緒に居て、江の島へ行っていました。
私はその日、何だか、居てもたっても居られずに、午前中に現地に向かいました。
3人で歩いた・・
私とお父さんが並んで、息子が前を歩いていました。
おしゃれ好きだった息子は、新しいベージュ色のチノパンの裾を少し折り上げて・・
ナノユニバース 好きなブランドの一つだったね。
君のうしろ姿が目に焼き付いているよ。
この数週間前、
「お母さん、夏のTシャツとチノパン買いに行かなきゃ。」って
約束は未だ達成できてないよ。
一緒に買いに行きたいよ。
3人でカラオケボックスで楽しみました。
この日、初めて、普通の家族らしい親密で和やかな楽しい時間を過ごすことが出来ました。
やっと家族が一体になれた。そんな風に感じるひと時でした。
今までに無い空間
本当の家族の団らん
心が繋がった時間
お父さんは、この時、これからが本当のスタートだ。と感じたようです。
私も同じ事を考えました。
この2日後に彼が居なくなるなんて 考えもしなかった。
この時にはもう決めていた。
彼が残した言葉の中に、13歳になってから一番幸せな日だった。。と
綴られていました。
子供をいくら可愛がっても いくらサポート体制が良くても
間違った形の夫婦の子供は幸せではありません。
子供の悩みが家族の事とは全く関係なくても 辿って辿って行けば
原点は家族のあり方。
根っこがぐらついて木は健康に育ちません。
私・・母に罪在りき
あの子に謝る言葉が見当たりません。
幸せな家庭を築けなかった私の罪は重い。
あの子の思い出話をお父さんと会って話したい。
そう思いますが、
幸せな家庭を築けなかったのは 私の罪です。
今、私にできることは お父さんの今の幸せを邪魔しない事。
沢山、沢山話したいことはあるのだけれど
そして 何一つ悪気など無いのだけれど
私がお父さんに声をかけることによって 嫌な思いをする人が居るのなら
我慢するしか無いです。
これも償い
あの日 江の島を父と二人で歩いた息子は 父の後ろを歩いたそうです。
そのことを お父さんは「〇〇は俺の後ろを歩いてくれたんだ。」と
嬉しそうに言っていました。
息子は父を軽視してはいませんでした。
軽視どころか、とても尊敬していました。
きっと父のようにまたそれ以上に
そして普通に、あの子の望む普通に、生きたかったのだと思います。
そして 父の事も私の事も大好きで居てくれました。
お父さんは息子が自分の後ろを歩いてくれたこと。を
父親として見られることに
誇らしい気持ちになったのでしょう。
父親として 疎外感を持たせてしまった。
私の責任です。
10年・・・
時間って何なのでしょう。
いつになれば 現実そのままの あの子に会えるのでしょう。
色んな形で現れてはくれるけど
その形も少しずつ小さいものに変わって行っているような気が・・
お母さんが欲張りなのかな。。
小さく儚くてもいいから 消えないでね。
君のあの世での活躍も邪魔しないから。
暖かい場所で 暖かい人たちに囲まれて 健やかに居てくださいね。
君を授けてもらって、君が居てくれて お母さんの人生は 幸せなものになったよ。
本当に幸せだった。
ありがとう。
本当にありがとう。
また、明日ね。。
