古都の寺院の隠された真実を求めて-201209301506000.jpg
獅子像(修理前)

 昨日、良福寺拝観の時に頂いた史料によると当初は後補のものであると考えられていた獅子像が文珠菩薩像と同年代のものと分かった事が書かれており、それが大和郡山市指定文化財から奈良県指定文化財に昇格する理由になったように思えました。 
 その部分を抜粋して紹介させてもらいます。 


 獅子像は後補の厚い漆箔で覆われているが、本像と同趣の落ち着きが表されており、獅子像としての鎌倉彫刻にあっては甚だ古様であるといえる。 
 獅子像内からは平成二年、六七一枚の文珠菩薩の印仏が発見され、裏面には一紙一名毎に造像に関わった結縁者の名前が記されている。僧侶と思われる者、阿弥陀仏の法号を有する者の名もみえるが、寅、熊、吉野、讃岐、勝石等の俗名が多数を占めている。 
 表の文珠菩薩の印仏は五髻文珠で、その表情は厳しく、蓮華座に坐している。
 その下方の願意は「三宝海の覚母妙吉祥(文珠菩薩)に帰命し、堅く大菩提を求め、広く貧賤(ひんせん)の類を度(すく)わん」とあり、貧窮孤独の人々の救済を説く『文珠師利般涅槃経』に依拠するものであることがわかる。 
 これは鎌倉中期の忍性(にんしょう、1217~1303)や叡尊らによる窮民救済の文珠信仰に通じる性格のものであり、鎌倉時代の南都における初期文珠信仰の注目すべき資料であるといえるだろう。 


 前の記事で載せさせてもらった写真は当初の姿に復元する修理が行われる前のもので、昨日、拝観した現状は獅子の後補の漆箔は剥がされています。