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佐紀神社入口に置かれた地名考証超昇寺趾と後期超昇寺趾の図
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佐紀幼稚園北側の看板
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佐紀幼稚園南側の石段
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隆光大僧正墓の碑文
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隆光大僧正の墓

 最後に訪ねたのが佐紀池のすぐ北側にある隆光大僧正によって江戸時代に再興された超昇寺の跡と、その南端にある隆光大僧正の墓でした。 

 佐紀幼稚園の北側に佐紀神社という社が有り、その入口に写真を載せた超昇寺界隈の地図が置かれていました。 

 佐紀幼稚園の南側には昔、超昇寺があった時のものと思われる石段が残っており、隆光大僧正の墓には昭和53年に建立された石碑が有りました。 

 その文面を載せさせてもらいます。 


 護持院僧禄隆光大僧正は大和佐紀村の出身 七十六歳の天寿をここ超昇寺の寓居で閉じ、自然石の小さな墓碑のもとにその靈は眠る。
 師は慶安二年超昇寺郷の河邊家に生まれ、仏道を研鑽し顕密の奥義を究める。名声つとに幕政惟幄に聞え、元禄元年江戸神田橋外に護持院を興した。 
 五代将軍綱吉およびその生母桂昌院尼公の篤い帰依のもと、東大寺大仏殿の元禄再興はじめ師の尽力した社寺仏閣の復興再建は数知れず。天平文化の再現者としての恩徳を後世に残した。宝永六年、綱吉公薨去の後は故郷に帰って超昇寺に寓すること十有余年、享保九年六月七日この地に示寂した。
 真如法親王御開基の輝かしい縁起と、広大な寺地伽藍を擁した超昇寺の最後の一院も明治維新後廃絶、墓域の一部を止めるのみとなった。 
 いま、その故地に市立佐紀幼稚園の建設開園されるにあたり、奈良市および有縁の者相謀り、墓域を整備し、以てその遺徳を顕彰せんとするものである。 

昭和五十三年十一月吉日