阿弥陀如来坐像(平安時代・歓喜寺蔵)なら仏像館「名品図録」より
歓喜寺門の表札
歓喜寺本堂
歓喜寺門外の隆光大僧正鴻恩の碑
まず最初に訪ねたのは佐紀池の西側の集落の中にある歓喜寺という、お寺で門外から拝見させてもらいました。
「超昇寺再考」によると明治十年年頃、超昇寺を破却して、堂は奈良市北新町正行寺に施入され、仏像等は二条町歓喜寺に托して全く廃滅したと書かれています。
また「超昇寺再考」には超昇寺の遺物として歓喜寺に現存する三躰の仏像が紹介されています。
阿弥陀仏は形式からみて貞観の作、恐らく超昇寺創立当初の仏像ではないだろうかと書かれており、薬師仏は室町時代の作と思われ、観世音菩薩は明らかに徳川時代の作であるが隆光僧正の再建の時に製作されたものであろうと書かれています。
歓喜寺のご住職に電話で問い合わせた所、この三躰の仏像は奈良国立博物館に寄託しておられるそうです。
昨年、なら仏像館を訪ねた時に阿弥陀如来坐像が展示されているのを拝見しましたが、なら仏像館「名品図録」には下記のような説明が載せられていました。
本像は針葉樹を用いた一木造の像で、両手首先や両脚部が後補のものに替わることは惜しまれるが、肩の張った雄偉な体型や太い衣文に平安前期彫刻の特徴が顕著。面部には薄く乾漆が盛られ、木心乾漆造の像を彷彿させる。表情はまことに重厚である。超昇寺創建当初にさかのぼると思われる古像である。
「大和寺集記」に載せられている康平七年(1064)の巡礼記の逸文には、本堂に金剛界五仏が安置されていた事が記されていますので、この像が大日如来の周りを取り囲んでいた四躰の如来の内の一躰であった可能性が高いと考えています。