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四王堂 増長天像(部分)
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法華堂 持国天像(部分)
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法華堂 増長天像(部分)


先日(18日)、観音縁日という事で西大寺の四王堂をお詣りしましたが、その時に増長天像を拝した時、これまで気に留めていなかった二つの事が気になりました。 

一つは、胴の部分正面の獣の顔をした服飾、もう一つは腕の部分の口を開けた獅子の頭の服飾でした。 

胴の部分の獣の顔の服飾は、他の三躰には有りませんが腕の獅子の頭の服飾は残りの三躰にも有ります。 

今の増長天像の前身で有る創建当初の増長天像と東大寺の法華堂の金剛力士像阿形は共に称徳天皇の発願のため像容が類似していたと考えていますが図書館で閲覧した「奈良六大寺大観」の東大寺の巻に載せられている法華堂の四天王像の服飾にも、かなり似たものが見つかりました。

四王堂の創建当初の四天王像が、どのような色であったかも興味が有りますが、現状の邪鬼と創建当初の多聞天の足の部分の色艶の違いから天部だけ塗金されていたのではないかと想像しています。

貞観二年(860 )の火災の後に再鋳された三体の天部は寺の財政が困窮していたために顔と手だけが塗金され、唯一焼け残った多聞天も火熱で塗金は取れたため同じように顔と手だけ塗金されたのではないかと考えています。

その後、時期については、まだ、きっちりと考察していませんが平安時代の後期に四王堂が焼失した事があったようで、その時の火熱で天部の顔と手の塗金が今のような色に変化したのではないかと思っています。