複雑化する日本のプリクラ機 | 「週刊・東京流行通訊」公式ブログ

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プリクラ全盛の時代にあって、私も中毒患者の一人になりました。日本へ行って、プリクラの機械を見つけたら、必ず突進していって撮りまくり、巨額の投資をしても胸が痛むこともありませんでした。ナルシストと言われたり、流行を追っていると言われたりしましたが、やはりプリクラを撮る最大の理由は、面白いから、そして記念になるからなのです。プリクラ機では肌の色を選べるし、後で写真を加工することもできて、プリントアウトされたシールの上の自分はまったく欠点のない美女で、見ているとうっとりしてしまいます。女子高校生たちが夢中になるのも当然だと言えるでしょう。

最初のプリクラ機は1995年に日本に登場し、1997年に全盛期に入りました。しかし2010年には台数が15053台になり、2002年の36546台に比べて半分ほどに減ってしまいました。考えてみれば、電子機器が発達して、わざわざプリクラを撮りに行かなくても、スマートフォンやカメラでいろいろな装飾効果を行うことができるので、ブームも後退したのでしょう。しかし私がこのように考えていた時、驚いたことにプリクラ機の構造と撮影の趣向が実は日進月歩を続けており、さらに複雑で多機能を備えた撮影機器に変身していることに気が付いたのです。


6月にお台場のあるショッピングセンターで、数台のプリクラ機が設置してあるコーナーを見つけ、しばらく撮っていなかったので、ちょっとやってみようと思いました。しかし機械を選ぼうとして、まず難題にぶつかりました。まず、写真の色彩が特に鮮やかだとか、瞳を大きくできるなど、機械の特色について知らなければ選べないのです。そこで、最もたくさんの人が利用している機械はどれかを観察して、決定しました。そしてカーテンをあけて中に入り、音声ガイドに従ってせわしく動き回って、何枚かの写真を撮りました。四年のブランクの後でプリクラ機に接した私は、その進化に深く感動したのでした。


肌の色を選べるだけでなく、瞳の大きさも指定でき、ポーズを取るのが苦手な人には、撮影前にコンピュータがいろいろな雰囲気の模範写真を示してくれます。撮り終わった後の「落書き」(ペンでスクリーン上の写真を加工したり文字や図案を書いて装飾したりすること)もなかなか大変です。プリクラを撮った後の後半の加工こそ、写真の品質に影響を与える最も重要な部分だとは、思いもよりませんでした。限られた時間内に、自分の顔にアイシャドウや頬紅をつけ、まつげを貼りつけ、瞳の色を変え、髪の色を変え、きらきら光る装飾図案や韓国語、英語、日本語などの挨拶を貼りつけ、写真をもっともっと豊かにできるのです。


普段の仕事でも、パソコンソフトで絵を描くことはありますが、プリクラ機で写真を装飾する時はなかなか難しく、失敗ばかりしてしまいました。プリクラは実に奥が深いです。プリントアウトされた、瞳が拡大されてまったく自分に似ていない写真を見て、私は苦笑しながら、時代は変わったなあと感嘆したのでした。(哈日杏子執筆、撮影)














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